桐一葉

歴史・戦史

これは293回目。「食欲の秋」と言いますが、とくに秋になるとスーパーにスイーツ売り場が増えるようです。これは秋に甘いものを食べたい人が増えるためなのですが、日照時間が短くなるとセロトニン(幸せホルモン)の分泌が減少するのだといいます。甘いものを食べるとセロトニンの分泌が一時的に増えるので、無意識に甘いものが食べたくなるらしいのです。

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「読書の秋」などと言う言葉もあるが、それほど秋に本を読みたくなるのかというと、どうやらこれもあまり関係がないらしい。もともと、中国の唐の時代の詩人であった 韓愈(かんゆ)の詩の「時秋積雨霽、新涼入郊墟。橙火稍可親、簡編可卷舒。」という一文が発端のようだ。訳すると「秋は天気が良くて涼しい、夜は長いし明かりを点けて読書するのがよろしかろう」という意味だ。中国では、古代から秋は読書するイメージがあったらしい。日本では大正期になって、晩秋の11月に「図書館週間」を設けたのが発端だったようだ。

ところで、どうもその意味が巷間伝えられているものと、まったく逆の言葉もあるらしい。その代表的なものが、「秋ナスは嫁に食わすな」だ。「秋のナスはとても美味しいので、嫁に食べさせるのはもったいない」という意味に捉えている人が、どちらかというと多いかもしれない。なんとも嫁と姑の確執を感じさせる、ひと昔前の時代を思わせる。実際、そういう意味で使われたこともあるらしい。

ところが、これとはまったく逆の意味で、「秋ナスは身体に毒だから、大切な嫁には食べさせてはいけない」という場合もあるそうだ。ナスには、発汗や利尿を促進し、身体を冷やす働きがある。これから寒さに向かっていく秋に、大切なお嫁さんの身体を冷やして、風邪でも引かせてしまっては大変。そのような意味での「食わすな」なのだ。面白いのは、秋ナスには種が少ないので、子宝に恵まれないようなことがないように、という願掛けの意味もあるらしい。

このように秋には、多くの含蓄のあることわざや、言い習わされた名言が多い。たとえば、「物言えば、唇寒し秋の風」もそうだ。出典は、芭蕉の句である。人の短所を言ったあとは後味が悪く、寂しい気持ちがする。転じて、何事につけても余計なことを言うと、災いを招くという意味だ。

しかし、もっと品格の高さを感じることわざがある。たとえば、「桐一葉(きりひとは)落ちて天下の秋を知る」がそれだ。ちょっとした前兆、前ぶれから物事の大勢を予想する、という意味である。「桐」は、他の木よりも早く葉を落とす落葉樹で、秋の始めに葉が落ちる。この言葉は、中国・前漢時代の『淮南子(えなんじ)』という思想書の一章、「説山訓」からの出典だ。

そして、この言葉が日本で一躍有名となったのは、立花証券の元会長で現取締役相談役の石井久氏の予言だった。当時、石井氏は「独眼流」のペンネームで相場の分析を株式新聞に書きまくっており、同時に、地方の証券会社が主催する講演会に呼ばれて全国を回っていた。交通事情の悪かった当時のこと、泊まり掛けの出張が多く、一年の三百日は家を留守にする強行軍だったという。

以前、日経新聞の「私の履歴書」に同氏が連載を寄せていたから、お読みになった方は覚えておいでだろう。昭和27年、朝鮮戦争の特需によって、日経ダウ平均は360円を突破し急騰。相場はさらに過熱して、翌28年2月には、次の目標水準と言ってきた468円をつけた。

石井氏は、およそ買いたい投資家がみんな買ってしまっており、朝鮮戦争の和平接近の動きを見て、総撤退の必要性を判断した。2月11日付の株式新聞のトップに、あの有名な「桐一葉・落ちて天下の秋を知る」の見出しで退却ラッパを吹いたのだ。

3月5日、ソ連でスターリンが死んだ。3月28日の朝鮮戦争の休戦会談再開提案が暴落に追い打ちをかけ、4月1日には日経ダウは295円まで突っ込んだ。高値からの下落率は、わずか二カ月で37.8%。これは、今日なお「スターリン暴落」として記録に残っている。

石井氏が書いたこの記事は、掲載直前の一週間、載せる載せないで揉めたいわくつきの記事だった。編集の記者連中も皆、掲載に反対だった。「間違えたら新聞の名声が吹き飛ぶ」「もっとはっきりしてからでもいいではないか」と反対が相次いだが、石井氏はトップの了解を得て、掲載を強行する。

いつの世も、わずかな前兆から、大きな異変を感じ取ることは至難のわざだ。ましてや、それを確信できたとしても、実行に移すとなると、さらに二重の勇気と覚悟がいる。天国と地獄は紙一重である。それは暴落のときだけではない。大相場の前兆にも同じことが言える。

実は相場に関しては、予兆は必ずある。気がつくか、重視するか、それだけのことなのだ。多くの人はそのことを知らない。



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