老人は前線に立つ
これは240回目。「若者が殺されるぐらいなら、年寄りが死んだ方がいい」・・・騒乱が続く香港、繁華街の銅鑼湾(Causeway Bay)で起きた一連の衝突には、「守護孩子(Protect the Children)」と呼ばれる高齢者グループが、そう言って最前線に立っていました。
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彼らは、ほぼ毎週末、警察とデモ隊の間に入り仲裁を試みるが、警察が突撃すると分かれば、人間の盾となって、脱出するデモ隊のために時間稼ぎをすることもある。
衆愚政治や独裁政治は、権力者が悪いのではない。それを許す民衆の程度の低さが問題なのである。とくに黙っているのは高齢者である。高齢者こそ動かなければならないのだ。そのような社会をつくった責任と、豊かな見識をもって、その国の未来に最後の遺言を残さなければならないはずなのだ。
香港が揺れている。一連のデモで、これまでに12歳の子どもから70代の男性まで1100人以上が逮捕されている。多くは暴動の罪に問われており、10年の禁錮刑が科される可能性もあると言う。
最近では、重傷を負って警察側に収容されたデモ隊10人のうち、7人が釈放されたが、「消えた3人はどうした?」ということで、大騒ぎになった。殺されたのか? デモ隊は、激高している。・・・
話は変わるが、19世紀フランスの小説家に、アルフォンス・ドーデがいる。「最後の授業」で年配者にはよく知られている作家だ。それだけ読むと、なかなか感動的な作品である。
かつては、教科書には必ず載っていた「最後の授業」だが、近年はまったく掲載されなくなった。文部科学省の判断である。
ドーデは確かに、愛国者として、ありったけのフランス魂をこの掌編にこめた。普仏戦争で敗れたフランスは、アルザス・ロレーヌ地方をプロシャ(後のドイツ)に奪われ、その悔しさが行間ににじみ出ている。
1872年、プロシャに占領される最後の授業で、学校ではフランス人教師が黒板に「フランス万歳!」と大書して、終わる。
が、実際にはドーデはやはりある意味間違っていた。もともとアルザス・ロレーヌ地方は、ドイツ領だったのである。ドイツ語住民のほうが多く、遡ること1714年、フランス・ルイ14世がライン川を国境に定めたため、ここがフランス領に組み込まれた経緯がある。
その後もずっと、フランス語など根付かなかったのだ。圧倒的にゲルマン語とゲルマン人の土地であり続けたのである。普仏戦争で、プロシャはそれを奪回したにすぎず、フランスの恨み(ドーデの悲嘆)は、お門違いといってもよい。
文部科学省は、この点を重視して、「偏った見方は、子供に教えられない」という判断をしたのだろう。それは正しい。
しかし、理非曲直など、ナショナリズムの前にはなにも意味を持たないのだ。ナショナルな情念というものは、何が正しく正しくないか、ではない。そもそも偏ったものなのだ。それが社会の実相でもある。それを教えるのが教育なのではないのかとも思う。
しかし、同じドーデの名作群の中には、やはり掌編ながら、心を打つものが多い。「月曜物語」という短編集の中に、「最後の授業」といっしょに収められている「少年の裏切り」という掌編がある。わたしは、このシリーズの中では、一番好きな作品だ。
ステーヌ老人には、12-3歳の倅がいる。まだ少年だ。普仏戦争の最中、彼らの村は最前線に近かった。
物資が不足し、毎日の食事にも事欠く有様だった。少年は友人にそそのかされて、「仕事」に参加することにした。
フランス義勇兵の駐屯地を通って、プロシャ軍占領地域にある畑に、じゃがいもを取りに行くのだ。駐屯所では、人の良さそうなヒゲだらけの軍曹が、「手が凍えてるじゃないか」と二人の少年を介抱してやり、ほかの義勇兵たちも火の周りで詰め合うようにして、少年二人の体を温めさせた。銃剣の先で温めたビスケットとコーヒーをくれた。
兵士一人が連絡を受け、今夜向こうに陣取っているプロシャ軍に、義勇兵たちは夜襲をかけるということだった。義勇兵たちは、意気軒昂に鬨の声を挙げた。その後、彼らは二人を危険な「じゃがいも」取りに心配そうに送り出した。
二人は、プロシャ軍占領地帯に入った。じゃがいもを拾いながら、プロシャ軍陣地に入ると、友人はなにやらプロシャ兵たちにひそひそ小声で話している。フランス義勇兵の夜襲を暴露しているのだ。ステーヌ少年は、心臓が高鳴り『いけないよ、そんなことしちゃ。』と心の中で訴えるが、声には出ない。
二人はご褒美にたんまり銀貨をもらって帰途につく。フランス義勇兵たちは、無事に帰ってきた少年を見て、ほっと安堵した様子だった。
ステーヌ少年は、義勇兵たちに『夜襲にいったら、返り討ちにあう』ことを告げたかったが、友人がそれを制した。「おれたちが銃殺されちまうじゃないか」
ステーヌ少年は、家に帰ると、気分が悪くなり、すぐに寝床に逃げ込んだ。しかし、自責の念は、どうにもならなかった。やがて、砲声が聞こえた。フランス義勇兵の夜襲がはじまったのだ。
少年は矢も楯もたまらず、年老いた父親に身を投げ出し、ことの顛末を白状した。ステーヌ老人は、震えながら零れ落ちた銀貨を拾い集めてはポケットに入れ、古い鉄砲と、弾薬入れを取り出した。
老人は「これを返してくる」とだけ言い残し、振り返りもせず、階下に降り、夜陰に乗じて奇襲に参加する青年遊撃隊の隊列に加わった。以来、老人の姿を見た人はいない。
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香港の若者たち(大学生のみならず、中高生までがデモに参加している)は、ドーデの作品とは違い、何一つやましいことをしているわけではない。当然の正義を主張しているにすぎない。
冒頭の、「守護孩子(Protect the Children)」隊の老人たちは、その運動が正しかろうが、正しくなかろうが、若者たち(=将来の香港)のために、人間の盾として立っている。未来のある若者ではなく、もはや後がない老人こそ立たなければならないはずなのだ。