そうだ、家を持とう~とみんなが思うようになるには。

政治・経済


これは79回目。人口が減っていく日本で、先細りが見えている典型的な産業の一つに不動産があります。本当はそんなことは無いのでしょう。これも一向に変わろうとしないこの国の体質が、そうさせているだけなのかもしれません

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日本の建築物は耐久年数が30年、米国は70年、英国100年と俗に言われたりもする。だが、実際には建築技術や素材の向上によって、日本の建築物が米欧に見劣りすることはない。早稲田大学の研究チームが行なった調査によると、日本の鉄筋コンクリート製住宅と木造住宅を比較した場合、その耐久年数は50年前後とほとんど変わらない。それどころか、ものによっては木造のほうが耐久年数が長かったりする。

ところが、である。米国の全住宅の初期投資金額と、現存する住宅ストックの評価額では、後者が上回っているという驚愕的な事実がある。一方日本では、後者(現存の住宅ストック)は前者(全住宅の初期投資金額)より500兆円も少ない。これはいったい、どうしたことか。

答えは、経年劣化による減価償却という間違った考え方のためだ。日本では、新築から1年経過するごとに、経年劣化が評価額から減額されていく。20~22年くらいで、建物自体の価値は事実上ゼロになる。

ところが、米国ではリフォームやリノベーションなどの補修を行なうことによって、評価額が上積みされる。やり方によっては、新築以上の評価額も可能になる。そもそも、欧米の住宅の世界では圧倒的に中古住宅が主力だが、米国ではとりわけこの分野の流通が活況だ。それに引きかえ、日本では中古住宅が落ち込んでいる。

そもそも日本では、建物というのは朽ちていくもの、という前提がある。だから、補修も最低限のことしかしない。結果、価値は減額され、流通もしにくくなる。ところが米国では、建物は補修によって評価価値が改善され得るという前提がある。だから、価値(建物の品質)は保たれ、流通も活況を呈する。

こうしたことを考えると、日本の長いデフレは、間違った不動産の評価方法が一因になっているとも言える。このような間違いがまかり通っているのは、現状をけっして変えようとしない役人がその元凶ではあろうが、使える資源の有効活用が、まったく出来ていないという現実に行き着く。

こうした誤謬(ごびゅう)の大前提になっているのは、日本人に根強い土地の絶対神話であるとも言われる。しかも、これは戦後になって、より顕著になった。戦前はそこまで極端ではなかったようだ。確かに、国土の90%が原生林であり、平野部が少ないという国情はある。だが、それを口実にした現状を打破するためには、幻の土地神話というものを打ち消す必要がある。

そういう意味では、民放の「ビフォー・アフター」などという番組は、日本人の不動産に対する既成概念に革命を起こす、見事なくさびの役割を果たしているかもしれない。

上モノ(建築物)に関しては鉄筋コンクリート製の優位神話、評価価値の減額神話など、あらゆる不動産にかかわる神話を、ひとつずつ取り壊していかなければならない。あたかも、「張りぼて」のようなものとしか思っていなかった日本の住宅について、私たちが戦後信じてきた多くの常識を、覆されなければならない時期にきているのだ。

現在、全国で空き家は800万戸。これがもうじき1000万戸になるのも時間の問題と言われている。しかもである、九州と同じくらいの土地は所有者不明ときたものだ。一体この国はどうなっているのだ。

さらに喫緊の問題としては、市街化区域内緑地(農地)は生産緑地指定がなされたのが1992年で、30年という年限が2022年に到来する。地権者は自治体に時価で買い取り請求ができ、自治体は金が無いので、もちろんそのすべてではないだろうが、競売などに付されて、結局地価下落を引き起こす。なにしろ、計算上では皇居130個分の空き地が不動産市場に加わってくる勘定だからだ。

有効活用・活性化が一向になされずに放置され、増殖を続ける空き家。地価の長期的な低落傾向。一方では都会には、何の地区経済活性化の手立てもなく、ただ意味も無く地方行政はタワーマンションばかり推進する。癒着を疑われても致し方ない無為無策ぶりといっていい。

その間隙を縫うように、中国の個人・法人は日本全国あちこちの土地を買い漁っている。日本人が中国の不動産を購入することができないのに、である。国家関係はすべて互恵でなければならないはずである。

それも、要所(地の利の良い公的不動産の払い下げや、あろうことか水源地域の土地、基地を俯瞰できる一帯などですら)を、財界の親中国派人士や外務省、そしてこの意を体した地方行政が行っているという許しがたい現実が随所に起こっているではないか。

なぜ、こんなことをまかり通っているのか。この国に、本当に国民の利福を前提とした長期的な国家再興計画を目指すようなダイナミズムが政治家にも選良にも無い、ということなのだろうか。「国民と国を売る」という、聞けばぞっとするほどおぞましい実態に、それこそメディアはほとんど声を挙げない。

「カイゼン」という美名に隠れて、本当の意味での「カクメイ」を起こす気概の無い国家に、未来など無い。その一番大きな責任を負っているのは、もちろん言うまでも無く、政治でも、官僚でも、財界でもない。わたしたち国民そのものにほかならない。猛省すべきは、一向に変わろうとせず、動こうしない日本人そのものなのである。



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