空っぽの自分と、自己実現したいという矛盾

文学・芸術

これは149回目。つまらない人間だと思っても、そうではなくなるかもしれないというお話です。見え方が劣っていても、たいしたことないようでも、それで終わるとは限りません。むしろ、それだけ飛躍は大きいかもしれないのです。

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世の中便利になったものだ。10年前、20年前とは比較にならないほど便利になった。インターネットの普及がまさに革命的な社会の変革を引き起こしている。

が、人間そのものはそれを有効活用できていない。たとえば、映画監督のスピルバーグがこんなことを言っている。

「ソーシャル・メディアの浸透は、人間を変えた。画面ばかり見てしまい、相手と視線を合わせなくなった。テクノロジーは心を開くのではなく、その柔軟性を失わせてしまった。情報を発信したり、他人とつながったりできるツールにもかかわらず、逆に今は他人にどう映っているか、自己評価ばかりを気にする人が増えており、他人への関心がなくなった。」

スピルバーグの嘆きは、文字通りだろう。インスタグラムが大流行りになったが、情報発信の中には、肝心の「自分」が無く、すべて借り物である写真ばかりだ。自分が観たものであるかもしれないが、その人本人ではないのだ。その人自身が映っていたとしても、結局その場所、その背景を見せたいだけなのだ。

空っぽの自分は棚に上げておいたまま、情報発信の「てい」を装いながら、そのクセ、自分を評価してもらいたい、というあさましい独善的であさはかな自己主張ばかりが氾濫している。

そんなありさまは、とっくの昔に、太宰治が皮肉たっぷりに書いている。「富岳百景」だ。冒頭の有名な部分をまずは抜き出してみよう。

『富士の頂角、広重の富士は八十五度、文晁の富士も八十四度くらゐ、けれども、陸軍の実測図によつて東西及南北に断面図を作つてみると、東西縦断は頂角、百二十四度となり、南北は百十七度である。広重、文晁に限らず、たいていの絵の富士は、鋭角である。いただきが、細く、高く、華奢である。北斎にいたつては、その頂角、ほとんど三十度くらゐ、エッフェル鉄塔のやうな富士をさへ描いてゐる。けれども、実際の富士は、鈍角も鈍角、のろくさと拡がり、東西、百二十四度、南北は百十七度、決して、秀抜の、すらと高い山ではない。たとへば私が、印度かどこかの国から、突然、鷲にさらはれ、すとんと日本の沼津あたりの海岸に落されて、ふと、この山を見つけても、そんなに驚嘆しないだらう。ニツポンのフジヤマを、あらかじめ憧れてゐるからこそ、ワンダフルなのであつて、さうでなくて、そのやうな俗な宣伝を、一さい知らず、素朴な、純粋の、うつろな心に、果して、どれだけ訴へ得るか、そのことになると、多少、心細い山である。低い。裾のひろがつてゐる割に、低い。あれくらゐの裾を持つてゐる山ならば、少くとも、もう一・五倍、高くなければいけない。・・・』

この短編の中で、山梨県南都留郡河口村(富士河口湖町河口)の御坂峠にある土産物屋兼旅館である天下茶屋を訪れ、そこに3ヶ月逗留したときのことを書いている。

師と仰ぐ、井伏鱒二の紹介で、太宰はお見合いをした。相手の親と娘、井伏、そして太宰はその席で、非常に硬くなっていた。

相手の親も、自分(太宰)を評判の悪いごろつきだと知っている。なにせ「小説家」である。当時、ろくな職業ではなかった。おまけに、心中マニア(しかも、女が死んで、自分はいつも生き残る)ときたら、札付きの「不良」のようなものだ。お見合い相手とその家族はみな太宰のそうした非行性をたいがい良く知っている。

しかし、当時はなんといっても有名な文豪・井伏先生のご紹介でもあるし、この不良男も最近は多少は売れてきているようだから、世間で言うほどひどい男ではないかもしれない。でも、やっぱりどうも信用できない・・・そんな風に、まずこのときの相手側は思っていたに違いない。

太宰は、太宰でそうした相手側の疑心暗鬼がわかっているから、極度に引け目を感じていた。コンプレックスの塊といっていい。「どうせ、俺なんて」と、彼一流のひねくれに落ち込んでいたに違いない。と同時に、「わかってねえんだよ。おれは結構すごいんだよ」という逆立ちした自尊心も同居していたのだ。

どうにも、雰囲気がよろしくなかった。話が一向に進まないのだ。そこで井伏が、「おや、富士」と言う。みんな、一斉に視線が富士山に向かう。

日本人なら誰もが、美しいな、綺麗だな、といったような価値観の共有をすることができる、数少ないものの一つが、そこに屹立しているのだ。井伏は場の雰囲気を一変させるため、(リセットするため)参集者の注目を富士一点に集めたのだ。

そして、「富士はいいですねえ」という、奇妙な、しかし一切の説明不要な、日本人ならではの、富士山を介した不思議な連帯感が生まれる。井伏のこの一言で、お見合いは順調な結果に結びついていった。

小説の途中には、あの有名な「富士には月見草がよく似合う」という名文句がある。月見草のような小さな存在であっても、自分というものをしっかり持っていれば、富士と比べても見劣りはしない、とも読める。もっともオーソドックスな読解だ。いや、そうではなくて、といろいろな評論家が、あれこれと意見を述べているが、わたしは、素直に読んでいいのではないか、と思っている。このころの太宰は、そういう心境だったと思う。

この名文句を踏まえて、小説の最後の場面に、通りすがりの見知らぬ娘さん二人に頼まれ、富士を背景に太宰が写真を撮ってやる画面が出てくる。

太宰は、ファインダーを覗いてみたところ、どうも具合が悪い。富士の前に立つ二人が、邪魔なのだ。月見草ほどのものすら、感じない。二人が入ったら、それこそ富士のすばらしさは半減だ。と、太宰は勝手に決め込んだ。

そこで、太宰特有のいじわるさ、茶目っ気さを発揮して、二人の写真を撮ったフリをして、実は富士しか撮らなかった。画面から、二人を「追放」してしまったのである。東京に帰ったら、あの二人、さぞ現像してみてびっくりするだろうな。という、太宰ならではのいたずら、である。

が、いたずらだが、そこにはいくばくかの太宰の真実も込められている。空っぽな人間は、月見草ほどの価値もない。太宰自身がそうだったのだ。この短い小説で、太宰は、よし、もう一度、頑張ってみようかな、俺も月見草くらいにはなれるかな、と奮起した様子が、なんとなく行間に読み取れる、そんな小説が、この「富岳百景」だ。

ファインダーをのぞいた太宰と同じである。インスタグラムの氾濫をつらつら眺めていても、なにも面白くないのである。個人が情報発信できるようになったことは、画期的なことであるにもかかわらず、そこには生の自分も、相手も、だれも実は存在していない、まさに空っぽの「情報発信」だけが垂れ流しになっている。

自分というものが何もないのに、「自己表現」しようとするから、おびただしく発信されている「情報」は、面白くないのだ。

それでも引きも切らずに、自分を発信し続ける、この現代人の性向というものは、一体どこまで利己的なのだろうか。当然、その帰結として「礼」という概念は失われる。

「礼」とは、相手の価値はなにものにも勝るという考え方に基づいている。他者の喜びや悲しみを自分のことのように感じる能力、それが、「礼」である。つまり、儀礼的な礼儀作法を身に着けることなどではないのだ。テクノロジーの発達で、日本人はどんどんこの「礼」を失ってきている。

また、副産物としての社会変化も起きている。昔ほど親と子供の価値観の相違がなくなってきているのだ。若い親自体が、画面ばかり見ているから、そうなるのだ。

昔は、親と子供の価値観の相違というものは、現代の比ではなかった。だから、その相克たるや、現代からは想像もできないくらい過酷な衝突だったのである。それが今では、親子は「お友達」のような関係に堕落している。だから、両者が衝突した場合には、子供同士の喧嘩になる。子供は相手を見ていない。自分しか見えていない。しかし、親も中身が子供だから、相手を見ていない。自分しかやはり見ていないのだ。ソフトランディングするわけがない。

昔の親子の衝突はそうではなかった。両者は「お友達」ではなく、圧倒的な権威と力量の差があった。絶対的な壁があったのだ。親も、子も、生の人間ばかりを見て生きていたからだ。従って、個々の人間性には、彼らなりの経験値が蓄積されており、それぞれの個性は、それが正しいかどうかは別として、かなり腰の入ったものだったのだ。

だから、いったんぶつかり始めると、半ば文化的衝突にまで発展し、最後は生きるの死ぬのという覚悟のほどがぶつかり合ったのである。その衝突には、歴然とした「違い」があったから、いやがおうでもお互いに、生の相手のその「違い」を見せつけられる衝突だったのだ。

このように、子供は超えていくべきものが何であるのか、明確に認識できた。が、今は、同じ子供の衝突であり、違いが見えない。自分しか見えていないから、なにを克服すべきなのかさえ、わからないまま、無意味でゴールの見えない衝突が繰り返されるようになる。

社会的に問題になっている、スマホをいじりながらの歩行もそうであろう。朝の駅周辺の雑踏で、スマホを見ながら多くの人が歩いている。当然、歩行は遅くなり、周囲の歩行にもまったく気をかけることなく、存在そのものが邪魔になっているのだ。スピルバーグの言う、画面ばかり見ていて、生の人間に視線が向いていないのである。

この「空っぽの自分」を「自己表現したい」という無様な欲求の根底にあるものは、なんだろうか。それは、「多数と一致していたいという欲求」だ。まったくの矛盾なのだが、本人たちはそれに気づいていない。ニーチェが言うように、まず「多数と一致したいという悪趣味を捨てる」ことから始めたほうが良い。

現代人の多くは、自己実現を尊び、自分のアピールばかりに固執し、まさにソーシャルネットワークがそのお膳立てをしたものの、なにしろ空っぽだから、やっていることはひたすら借り物の誤魔化しに終始する結果になっている。中身が無いのだ。それもこれも、多数と一致したいという根底の欲求が、そもそも間違っているからだ。自分のことばかりに興味が行くので、周囲のことがまったく見えなくなってくる。

しかし、ここにも実は望みがある。日本人というものは、どうなったところで、やはり日本人としての不思議な特性というものがあるのだ。時代が変わろうと、どう社会構造が変わっていこうと、その遺伝子だけは変わりようがない。

その一つの突破口になるかもしれないのが、瞬間をとらえる能力である。ある意味、空っぽな自己アピールばかり目立つ、インスタグラムなどのソーシャルネットワークだが、ああした薄っぺらい「自己表現」の繰り返しの末に、なにかが生まれてくるかもしれない。

何を言っているのかというと、日本人の得意技である、その「瞬間をとらえる」という特殊能力のことである。

古くは、俳句、短歌がそうである。しかし、なにも「瞬間」とは時間を圧縮してみせる、という世界観だけではない。形状や質量もである。たとえば、「幕の内弁当」というものもそうである。そこに、一つの世界を凝縮して見せているのだ。

世界的なフランスの文学者で政治家の、アンドレ・マルローが、こういうことを言っている。

「瞬間の中に永遠を凝縮させることができるのは、日本人だけだ。(アンドレ・マルロー)」

こうしたものは、どこの民族にもマネができないのだ。強烈な瞬間的美意識の表現で言えば、花火がそうである。一体、どこの国の花火が、日本のそれに叶うだろうか。

たとえば、枯山水もそうである。水を使わずに、水が流れている世界観を見事に表現してみせる。そこには、水が存在しないのに、延々と水が流れる情景を、「止め」て「見せ」ることに成功している。この技は、盆栽にまで発展している。

このマルローの言う、「瞬間の中に永遠を凝縮する」能力という観点から言えば、確かに、写真というツールはそれに最もかなっている。だから、異様な「インスタ映え」流行りというのも、実は日本人が持って生まれた、独特の遺伝子が向かわせているものかもしれない。

ある山の写真家がこう言っていた。山には、音がある、と。声が、言葉がある、と。彼は、それが聞こえると、写真に切り取ってくる、というのだ。この感覚は、おそらく日本人にしかない。空っぽになる、無になっていなければ、山の音が聞こえないからだ。

そうだ。写真は、確かに瞬間を切り取って、永遠に凝縮してみせるには最適なツールだ。そう考えると、昨今はやりの空っぽのソーシャルネットワークのありさまも、もしかしたら、そこからとんでもない日本文化が生まれてくるかもしれない。

確かに、今の若い世代は、レトリック(効果的な言語表現の技術)の致命的な欠乏がある。本を読まないからだ。行間を読むことが、だからできない。若者の会話をかくも貧困にし、仲間と写真を撮り合うことでしか自己確認ができなくなっている。

平成元年、1989年あたりから、この現象が強まってきている。90年代後半からは、インターネットの普及で、現象が加速した。このことを、浅羽道明氏は「写真性失語症候群」と呼んだ。

それは間違いない社会的変質の事実ではある。が、ここで一寸立ち止まって、よく考えてみよう。今、日本人は、とくに若い世代は、道に迷っているだけなのかもしれない。

道に迷うということは、歩き続けていれば、必ずどこかにたどり着くのだ。それが、美しい田園でなくとも、荒野であっても、なにかを見出すに違いないのだ。

道を迷っているうちは、その可能性を信じたほうがよさそうだ。彼らは、道を渡れないで立ち尽くしている臆病者なわけではないのだから。



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