形にして見せるということ

歴史・戦史


これは209回目。口で言うのはたやすいのです。それを形にして見せるということは、もっとも難しく、しかしもっとも有効です。なかなかできないことです。

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幕末当時、この革命運動の後に、やがて到来する日本の新しい社会とはどういうものかと、多くの知識人や志士が口から泡を飛ばして議論していた。幕臣の勝海舟など代表的な人物であろうし、周旋に奔走した坂本龍馬や福沢諭吉もそうだったろう。アメリカ式の議会制民主主義を筆頭に、さまざまな青写真が語られ、議論百般。立場の違いを超えて、あれだけ理想を語り合った時代も珍しい。

ただ、多くが口で言うだけだった。ええい、面倒くさいとばかりに、「これがそうだ」と具体的に形にして見せた男がいる。長州の高杉晋作だ。よく知られる奇兵隊の開闢総督である。この人物、やや人格というか、性格に問題があったように個人的には思うが、歴史的な事跡に置いて、この人物抜きに明治維新はない。

司馬遼太郎の説によれば、高杉は革命のために生まれてきた男だ。もっと言えば、元治元年12月15日( 1865年1月12日)に、長府の功山寺で無謀とも思われた決起(回転義挙)をするという、たった一晩のために生まれてきた男でもある。一度は壊滅した日本中の倒幕運動は、この一晩を境に、ドラマティックに逆回転していく。明治維新に向かう大転換の起点が、この夜の“暴挙”だった。司馬は、「誰もが永遠に続くと思った風景も、高杉には指一本押せば一変するものであることが分かっていた」ということになろうか。

その高杉は、もともと口下手だったようだ。桂小五郎や久坂玄瑞のように、論が立たない。本人も苦手意識があったらしい。だから行動で示した。武士の時代を終わらせ、平等な国民国家を目指すという、大方のコンセンサスは志士たちの間にあったが、一般庶民にとってはそれが具体的にどういうことなのか、さっぱり分からなかったろう。無理もない。長年、身分差別による封建制度に虐げられてきたのだ。平等とか国民とかの概念など、想像のしようもなかったはずだ。

高杉は、それを形で示した唯一の男だった。藩兵(正規軍)とは別に、身分出身を問わず有志のみで結成された奇兵隊や、その後つくられたものを総称して「諸隊」といったが、この非正規軍こそ、見事な形だった。武士も商人も、農民も被差別民も関係なく参加でき、論功行賞によって位階が決定される。それまでの身分に応じた呼びかけ方も改められ、平等な呼び方として「君」と「僕」が用いられたという。世に語り手は多くいたものの、次の時代を具体的な形で見せつけた例は、この奇兵隊を除けばほとんどない。この形は、理屈っぽい長州人たちにとっても度肝を抜かれる奇蹟に思えたことだろう。百の議論を並べるより、明日の日本というものを明確にイメージできる。勇気も動機も100倍に増幅させる効果がある。

アイデアというものはとても大事だし、それがなければ始まらないのだが、もっと大事なのはそれを形にすることである。みな、そこで頓挫する。偶然の産物であることもあれば、閃きで生まれることもある。いずれにしろ、形にしようという意思がなければ、それが生まれるキッカケはつかめない。

私なども、アイデアはけっこう出てきたりするのだが、いざ形にしようとすると、これがなかなか難儀で腰砕けになることばかりだ。どうも、コツというものがあるらしい。それは、受け手の人たちの立場になってみるということのようだ。アイデアというのは、自分本位になりがちである。ちょっと視点を変えて、受け手の人たちのレベル、立場、感度といったものをよく認識し、彼らが一番理解しやすい形はなんだろうかと考えると、意外にすんなり答えが出てきたりする。たいていそれは、単純明快にして必要十分な形であるはずだ。太宰治が、こんなことを書いている。「作家にとって、最大の敵はナルシズムだ」。

話はかわって、ソニーという会社がある。正直、ここ20数年、日本人をがっかりさせてきた企業の1つだ。株式市場では、「裏切りのソニー」という異名さえついたことがある。

期待が大きいだけに、失望はもっと大きい。この会社は、創業以来、多方面の分野で、同時多発的にヒットを量産する風土がない。一発屋なのだ。トランジスタラジオを皮切りに、誰もが知っているものではウォークマンがそうだった。10年に一度だけヒットを出す。しかしそのヒットは、世界中の人のライフスタイルを一変させるスーパーヒットなのだ。それまで、音楽というものは一定の場所にとどまりながら聴くものだった。それを、移動しながら音楽を楽しむという、過去考えられなかった現実を作り上げた。

しかし、そのスーパーヒットがこのところまったく出てこない。一時は株価が1000円を割り込むというところまで追い込まれた。きっと何かが間違っていたのだろう。あれだけのノウハウとセンスと技術力がありながら、生かしきれずに来た。アイデアは、社内にあふれるほど蓄積されているはずだ。

近年はセンサーで世界シェアの半分近くを席捲するなど、復活著しい。が、こういっては酷だが、実はだれもセンサーのソニーになってほしいなどと本音では思っていない。世界のライフスタイルを一変させるような、一発を見せて欲しい、そう願っている。世界中の人の腰を抜かしてほしい、そう思っている。ソニーが新しい次の形を見せてくれることを、多くの日本人が祈るような気持ちで待ち望んでいる。



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