デモクラシーが内部崩壊するとき

政治・経済

これは417回目。

デモクラシー(民主主義)は、それが成長し、繁栄し、成熟すると、一個の生物体と同じように、腐敗していきます。デモクラシーが追い求めたことが、デモクラシーを滅ぼすのです。

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デモクラシーをいわゆる「西側諸国」が手にするのに、どれだけの犠牲を払ったことだろうか。

その栄光のデモクラシーが、今や自壊作用を起こし始めている。

科学の進歩がそれを一段と加速させる。マンションに住めば、旧社会のようなコミュニティは生まれない。趣味の音楽も、スマートフォンで独りで楽しむだけの世界になっている。

宴会がなくなり、自分へのご褒美の独り酌が増える。

仕事では、パソコンの画面にかぶりつき、同僚や友人と目と目を合わせて会話する機会も減る。いや、電話会議があるじゃないかという。それは生の人間との直接対話とは決定的に違うことが理解できない人だ。

マイカー通勤などすれば、帰りに気の合った連中と一杯などということもなくなる。

こういった科学技術の進歩やそれによるライフスタイルの激変に対して、恐怖を感じたのは、スティーブ・ジョブス(アップル創業者)だった。

彼に言わせれば、社会・文化はこうしたことによって、長期的には膨大なロスを生むというのだ。ITの先覚者がそう言っていたのだ。

彼の表現によると、「知性の断片化」なのだそうだ。

要するに、公共的な、人類史的な、世界をベースにものを考える同時代的なものへの関心はどんどん薄れていくのだ。

ちいさな自分の原子の世界へと閉じこもっていくばかりの人間をつくっている。ジョブスはそれを恐れた。

せいぜい自分と、その家族という私的な世界に引きこもってしまう現代人の傾向・・・それを「裸のエゴイズム」と呼んだ。

デモクラシーと、それが生み出したとてつもない自我の開放、自由な知性の発展、それは今や、皮肉なことに、「きずな」と口ではいいながら、実際の生活では自ら分断された世界観へとどんどん落ち込ませていく。デモクラシーは、ただの個々人のエゴの集積回路でしかなくなっている。

ジョブスがこの恐るべきデモクラシーの自壊作用を、どうやって食い止めたらいいのだろうと、考えた。

答えは一つだった。リベラル・アーツである。

言い換えれば、「教養」にほかならない。教養の裏付けのない技術的進歩や、社会制度の発展は、しょせん砂上の楼閣だと、ジョブスは言い遺して逝った。

大学から、一般教養が消えようとしている。大学が提供する一般教養の質が劣悪だからそうなるのか。それとも、それを求めようとしない学生の質が語るに落ちるものになったからなのか。

かつて福沢諭吉が著した「学問ノススメ」は、当時300万部の大ベストセラーになったそうだ。日本の総人口3000万人という時代である。多くの人が小学校にもいけない時代に、それだけの人々が「教養」を激しく欲したのだ。そういう気迫は、今は無い。技術習得への情熱はあっても、教養には無関心だ。

ふと思う。教養が希求されない社会とは、別の言い方をすれば、ただの「野蛮」ということではないのか、と。わたしは、野蛮人にはなりたくない。



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