お前たちとだけは戦いたくない

歴史・戦史

これは332回目。世界で、日本の自衛隊と唯一まともに戦えるのは、米軍だけである、というと、まさかそんなと思うでしょうが、どうも本当のことらしいです。日本人だけが知らないのかもしれません。わたしもそこまでとは知りませんでした。

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ネットで拾ったことだから、わたし自身、裏を取ったわけではない。そのつもりで、読んでほしいが、米軍の中での評価によると、たとえば航空兵力に関して言えば、機体性能ではアメリカが優位だが、パイロットの質では日本の航空自衛隊だという。

日米合同演習で、以前、空対空のGUN射撃で命中率96%というスコアをたたき出したのは航空自衛隊であったらしいのだ。

たとえば、F-104J(航空自衛隊)vs F-15イーグル(米空軍)のバトル演習があった。F-104Jは第2世代の戦闘機だ。F-15イーグルは第4世代。実戦では、過去一度も撃墜されたことがないとされているF-15イーグルなのだが、航空自衛隊は演習において囮(おとり)作戦を使いながら、2世代も古いF-104Jで、イーグルの撃墜判定を取ってしまったのだ。

別の演習では、F-15J(航空自衛隊)vs F-16(米空軍)のバトルが行われた。運動性能の差でF-16が圧倒的優位だが、どういうわけか何度やっても判定は「互角」。しかも状況によっては、F-15Jのほうが有利になるという結果に、米軍は原因を調査した。

その結論とは、「おそらく日本のパイロットの技量で、戦闘機1世代分のハンディが消える」というもの。

確かに、太平洋戦争後半、日本はすでに劣勢となり陳腐化しつつあったゼロ戦で、米軍のマスタング(史上最高のレシプロ戦闘機。註:レシプロとはピストン・エンジンのこと。)相手に善戦したのを見ればよくわかる。昔からそうなのだ。機体性能で劣っても、「巴戦」などの技量でカバーしてきたのは、日本人なのだ。

現在でも、ロシア空軍内での対日基本戦術は、「日本の自衛隊機には、3機で当たれ」である。2対1では仕留めきれない、という結論である。

しかし、陸自も実はとんでもないようだ。

アメリカのヤキマ演習場で、NATO(北大西洋条約機構)軍の戦車射撃競技会があった。日本は、ゲストとして自衛隊の90式戦車がお呼ばれしたので、参加している。ところが、そのゲスト出演の日本の陸自が、全ターゲットのうちわずか1つだけをミスし、ランキング一位になった。二位とは大差をつけての、ダントツの優勝である。

その夜、レセプションと表彰式が行われたが、どういうわけか陸自のクルーたちは一様に暗い。諸外国のクルーが「一体どうしたんだ?」と尋ねたところ、返ってきた答えが、「あと一発、当てられたはずだ。」と悔し涙を流していたそうだ。

これを聴いていた諸外国の戦車クルーたちは、記者団に向かって、「命中率100%の自衛隊とは、何があっても戦いたくない。」と言ったそうだ。

以前、陸自砲兵隊が米国での合同演習に参加した際の逸話がある。そのときにも、あらゆるステルス技術を総動員した巡航ミサイル(数十発と言われている)を、陸自砲兵隊は、全弾撃墜するという快挙を成し遂げている。米国の統合参謀本部がみな腰を抜かしたという大変有名な逸話だ。これが自衛隊の実力なのである。

しかし、なんといっても、やはり日本の海上自衛隊が、一番トンデモないらしい。やはりこの国は、海洋国家であり、海軍の国なのだ。

もちろん世界の海軍力では、アメリカが不動の一位である。二位以下すべての海軍力を合わせても、アメリカの半分の戦力にもならないくらい、大差があると言われている。とくに評価が高いのは、潜水艦とイージス艦だ。

まともに米国海軍が合同演習できるのは、日本の海自だけだとさえ言われる。「まともに」というのは、アメリカが信頼して援護を頼める海軍力は、と言う意味である。

日本はアメリカと違い、原子力潜水艦を保有できない。しかし、性能的には原潜に大きく差をつけられているわけではない。とくに静粛性に関しては、世界でもトップクラスである。日本製の車を見れば、それは容易にわかることだ。

実際、有名なリムパック演習(環太平洋合同演習)があるが、そこでは、アメリカの航空機動部隊(空母打撃軍)の、縦深フォーメーションを取った対潜防衛網を、日本の海自・潜水艦(しかも、ディーゼル潜水艦である)がこれをすべて突破。なんども「米空母撃沈」判定のスコアをたたき出している。

日本もイージス艦を4隻保有しているが、このイージス艦というのは、100発近いミサイルの集中攻撃にも対応できるように設計されている。

対艦攻撃機1機が搭載できるミサイルを4発とすると、20機から25機の敵の攻撃に、イージス艦一隻で対応可能ということになる。日本はそれを2021年には8隻にする予定だ。( 2隻を改修して機能を持たせ、2隻新造。)

しかもイージス艦は、単独で作戦行動をとることはありえず、戦闘機、戦闘爆撃機、護衛艦などと共同作戦を取るので、敵航空兵力が100機や200機など、イージス艦主体の日本の作戦部隊は1ユニットだけで軽く排除できることになる。

イージス艦は、韓国も所有しているが、以前、米軍との演習で、被弾・中破判定されている。しかも、その後のダメージ・コントロールにも失敗し、結局「沈没判定」を食らっている。とても日本の海自のような練度は無い。まともに米軍と共同演習できる海上武装兵力は、日本くらいしかない、と言われるのはこういうことからもわかる。

ちなみに、このハード面でも日本製造の航空軍用機は世界的にも定評がある。US-2という救難飛行艇をご存知だろうか。新明和工業( 7224)の製造機である。かつて海軍の局地戦闘機・紫電改をつくった河西飛行機がその前身だ。このUS-2は、波高3mの暴風海上でも着水可能な、世界でも唯一の水上飛行艇である。

先述の90式戦車も、大変なものだ。時速50kmの疾走中でも、急ブレーキをかけるとわずか2mで止まるという驚くべき制動能力がある。車長が砲塔上に上半身を出していた日には、この急制動であばら骨が折れる事故などがあったことから、自衛隊内部では「殺人ブレーキ」と呼ばれている。この90式戦車、砲弾の自動装填方式なので、乗員はわずか3人。西側諸国では、第三世代の戦車の中では、最初の自動装填方式を採用した戦車だ。

しかし、軍隊というものは、高性能ハードや高い練度がその戦闘能力の決め手になる一方、規律も実は同じくくらい重要である。とくに、占領地・駐屯地における軍隊の地元からの評価に直結するからである。武装兵力は、しょせん作戦展開地域での住民の支援がなければ、成り立たないのだ。

かつて、イラク戦争後、イラクのサマワに自衛隊が派遣されていたのはよく知られている。日本のメディアは、ちょっと触れただけで、ほとんど報道しなかったに等しい。これが引っ張り出されて、メディア上に登場したときというのは、せいぜい憲法違反だといったような、野党や左翼のおバカが騒いだときだけだ。

駐留していた自衛隊がサマワから撤収するとき、現地の外交官はこう言った。

「3年間、延べ2000人の自衛官が駐留して、一人の脱走兵もなく、一人の婦女暴行もなく、一人の無銭飲食も無かった。こんな軍隊は世界のどこにもない」

世界最強の米軍ですら、駐留地では数々の問題を起こしているのは周知の事実だ。自衛隊ほど統制のとれた武装集団というものは、今の世界には存在しない。しかし、もともとそうなのだ、帝国軍隊も規律ということでは、とんでもない鉄の規律で縛られていたのだ。

サマワにいた諸外国軍も、日本の自衛隊には驚かされることが多かったそうだ。たとえば、まだ駐屯地設営中の頃だが、雇われた現地人労働者たちが勤務時間を過ぎても、帰ろうとせず、まだ働いている光景だったそうだ。外国軍の駐屯地では、仕事がまだ残っていても、時間がまだ来ていなくても、途中で帰ってしまうことが多かったのだ。

この差は、自衛隊員の姿勢の違いによるものらしい。諸外国軍では、イラク人労働者を雇うと、彼らに作業命令を下し、自分たちはしない。しかし、自衛隊員は、幹部自衛官ですら現地労働者と一緒に同じ作業を働いたのだ。食事もいっしょにとる。休憩時間もコミュニケーションを欠かさなかった。これがイラク人の勤労意欲を増大させた最大の要因だったと言われる。

駐屯中、近くに迫撃砲が撃ち込まれたときのこと。このときサマワ市民のデモが起こった。プラカードや横断幕には、「日本の宿営地を守れ!」である。現地の部族長が、「自衛隊を攻撃した者は、一族郎党まで滅ぼす」という過激な布告まで飛び出す始末だったそうだ。こういう芸当が、隣や、さらに隣の国の軍隊にできるものとはとても思えない。

日本の武力というものは、ロシアや中国が、依然としてこの現代においても脅威に思っているのは、この恐るべき正確無比な練度と鉄の規律なのである。

その自衛隊を呪縛しているのは、憲法であり、これを軍国主義と短絡的に結びつける浅はかな世論である。

例えば、一刻も早く、尖閣諸島に食料・飲料・燃料・蓄電などのインフラ設備をつくり、石垣市職員・海上保安庁そして、なにより自衛隊の常駐体制を設けなければならない。中国は、必ず尖閣諸島を実力で併合する行動に出てくる。すでに、南沙諸島では、ベトナムがやられてしまったのだ。その他のまだ中国が実効支配していない海域も、やがてすべて実力で支配下に入れるはずである。

尖閣諸島は、ベトナム領の海域が乗っ取られたのと同じ方式を取られるはずである。漁民に偽装した正規兵が、数百・数千という漁船で一挙に尖閣諸島に接舷・上陸をし、インフラを立て、五星紅旗を掲げ、ついで人民解放軍が常駐するという段取りである。

従って、実効支配をしておくことが尖閣諸島には必要で、一刻も早く、駐屯可能な生活インフラの整備と、公務員ならびに自衛隊の駐屯が必須だとわたしは痛感している。ぼやぼやしているうちに尖閣諸島が中国の手に落ちれば、間違いなく中国は、台湾の併合をこれまた武力行使するはずである。

この中国の野望はそれでも、決してとどまることは絶対にない。国家というものはいったん膨張を始めると、止めることができないのである。この中国の野望については、また回を改めて、後日書くこともあるだろうが、喫緊のリスクであるということは、日本人は肝に銘じておく必要がある。憲法第九条問題で国論が割れている暇など、一分も無いのである。

かつて、防衛大学第一期卒業生たちが旅立つとき、当時の吉田茂首相が彼らに語ったことばが今でも語り草になっている。ちなみに、吉田は戦前、反軍的な言動でいかにも、軍隊が嫌いだったような印象を持つ人が多いが、とんでもないことである。この第一期卒業生の卒業アルバムの製作費なども、吉田は肩代わりしているくらいだ。その吉田の心からのはなむけの言葉だ。

「きみたちは、自衛隊在職中、決して国民から感謝されたり、歓迎されることなく、自衛隊を終わるかもしれない。
きっと非難とか、誹謗ばかりの一生かもしれない。ご苦労だと思う。
しかし、自衛隊が国民から歓迎され、ちやほやされる事態とは、外国から攻撃されて国家存亡の時とか、災害派遣のときとか、国民が困窮し、国家が混乱に直面しているときだけなのだ。
言葉を換えれば、きみたちが日陰者であるときのほうが、国民や日本は幸せなのだ。
どうか、耐えてもらいたい。
一生ご苦労なことだと思うが、国家のために忍び、堪え、頑張ってもらいたい。
自衛隊の将来は、きみたちの双肩にかかっている。しっかり頼むよ。」

平和ボケした日本国民が、とんちんかんなほど「国境のリスク」に鈍感になっている一方で、自衛隊は黙々と無関心と中傷の中でその任務に就いている。吉田が言った「忍び、堪え」る時期は、すでに終わっているという事実を、一番肌で感じているのは、自衛隊員たちに違いない。



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