男の小物~無用の長物がなんと世界を変えたりする。

歴史・戦史


これは111回目。男は小物が大好きです。どういうわけだか、小物に惹かれる人が多い。男という動物は子供の頃からそのようです。そして、ほとんどがただのガラクタになっていく。しかし、もはや誰も使わなくなったそうした小物が、今や世界のライフスタイルの一端を担っていたりします。

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小物のうちで、これまた絶滅危惧種になりつつあるのが、万年筆だ。わたしは、ほとんど万年筆で、相場の雑記帳を書いている。情報やデータ、チャートのイメージなど、どんどん大学ノートに書き殴っていく。新聞のスクラップも構わず貼り付けていく。そのノートは、ツバメの特A版、黄ばんだ紙質のものと決まっている。

さて、その万年筆だが、周囲でもこれを日用している人をほとんど見ない。インク類では、ボールペンに圧倒されているといっていい。鉛筆は、学生時代までの話で、大人の世界ではほとんどボールペンのようだ。

この万年筆、やがて無くなるのかもしれないが、最後の一人になってやるという感じで使っている。ペンの先には、堅いイリジウムがポチっと付いている。それでも長年使っていれば、磨耗するわけだが、それがその人の癖であり、愛着も湧いて来るというものだ。

インクも、大事なことを書き分けたりするので、黒色と、青空のように明るい青色と、明るい赤色で、三つの万年筆を使い分けている。もっとほかの色も欲しいところだが、それではノートがとんだお祭り状態になってしまうので、品格のことを考えて我慢している。

書き物といえば、手帳というものある。わたしの場合は、学生時代から能率手帳と決まっている。それ以外、使ったこともない。使う気もない。男の小物というのは、理屈ではなくこういう妙なこだわりがあるから困ったものだ。

この男の小物こそは、その人の薀蓄(うんちく)の塊だといっていい。その人の世界観そのものだ。

昔、江戸時代などの男たちは、さまざまこの小物へのこだわりがあった。もっとも、それは江戸人特有の「粋(いき)」へのこだわりなのだが、たとえば、「煙草入れ」「鼻紙袋(お金や薬などにも使った)」「手拭い(てぬぐい)」など。

水戸黄門で有名な「印籠」なども、海外ではとんでもない値がついたりする。先日も、明治時代に日本で作られた印籠が30万1250ポンド(約3900万円)で落札されたそうだ。印籠の落札価格としては史上最高らしい。

なかでも、高価でマニアックなこだわりが集中したのは、「根付(ねつけ)」だ。この根付は、煙草入れや、矢立て(筆記具)、印籠(薬入れ)、小型の革製鞄などを、紐で腰帯から吊るして持ち歩くときに用いた留め具のことだ。

ほんの数cmから、小さいものでは1cmくらいのものもあったようだが、堅い材質や象牙が多い。江戸時代が進むにつれて、実用性以上に、その装飾性が競われ、江戸時代後期には爆発的に流行したようだ。ものによってはその精密彫刻ぶりから、もはや美術品として蒐集(しゅうしゅう)の対象となっている。

本家本元の、江戸時代の著名根付師などの作だと、ロンドンのオークションで、2000万円から5000万円の値がついてきた記録がある。友忠の作になる根付などは大変な高額らしい。友忠は江戸時代の値付師の中でも別格らしいが、浮世絵師と違いその記録はほとんど無いに等しいので、幻の名作家なのだそうだ。

かく言うわたしも、実は根付を使っている。(もちろん柿木などを使った、安物だ)塗香(ずこう)入れの留め具として安物の木製で、瓢箪(ひょうたん)の根付だ。この根付だが、実は、現代ではもはや化石のようにしか思われていないだろうが、なんと発想そのものは爆発的な勢いで使い継がれているのだ。それが、携帯のストラップである。

もともと根付のデザインは、人、動物、植物などのキャラクター化によって造形されてきた。対象となるものの特長をデフォルメ(対象の特徴を誇張・強調して簡略化、省略化した表現方法)し、シンプルに抽出してみせ、巧みに意匠化することにかけては、日本人の右に出るものはいない。ずっと後世の現代抽象画の巨匠・ピカソもびっくりの完成度の高さだ。

とくに江戸時代に隆盛を極めた根付には、素人目にも驚くようなものが多い。

根付も、キャラクター文化そのものだ。だから、これに現代のアニメのキャラクターが結びついて、大きく育った。携帯ストラップという概念も、世界的には日本が流行の発信源であり、アジアから欧州へと伝搬していった。

一度は死んだと思わせて、じつはどっこい、しっかりと現代人の間に、姿を変えて生き残っている。しかも若い女性には、必須アイテムとなってしまっている。日本の古くからのこだわりも、なかなか捨てたものではない。ときに文化の化石が、世界のライフスタイルを変えてしまうこともあるということだ。

伝統というのは、恐ろしい。とんでもない昔のものが、息を吹き返してくる膨大な素材を抱えているということだからだ。

日本には、創業100年以上の企業は約26000社ある。これを各国と比べてみると、中国は革命で壊滅したためだろうわずか1000社。欧州全体で3500社、アメリカは意外なことに4000社あるが、それでも日本の6分の1以下だ。

そもそも近代国家の象徴である中央銀行ですら、日本銀行設立が1882年(明治15年)であり、アメリカの連邦準備銀行は1913年(大正2年)である。日本は、本当に古いのだ。

創業200年以上になると、1200社。さらに創業300年以上になると600社。創業400年以上の企業(つまり日本では戦国時代である)になると、190社となり、創業500年になると40社ある。

さてこの創業200年以上の世界の企業のうち、驚くべきことに40-45%が日本に存在する。なかなか変わろうとしないこの日本社会は、その精神文化的特質がこの30年間大きな足かせになっていた。が、見方を変えれば、世界観を一変させるようなものが、実は古い伝統の中から生まれてくるかもしれないのだ。

温故知新とはよく言ったものだ。ロボットなどは以前も書いたようにその一つだろうが、まだまだそんなものではなまぬるい。日本ならいくらでも驚天動地のものを生み出せる素地があるはずだ。根付→携帯ストラップていどで終わってはならない。



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