横浜中華街の食い方
これは255回目。最近、横浜中華街の飯がまずくなったという声を聞きます。残念ながら、近年足が遠のいているのでよくわかりません。ほんとにそうなんでしょうか。聞くところによると、多くの新しい店がどんどん商売を始めており、いずれも客の大量動員と高回転を促がすために、いわゆる「バイキング形式」ばかり増えてきたためだ、というのですが。
:::
これが個性豊かな料理で鳴らした横浜中華街の味を落としたということらしいが、わたしはなにしろとんとご無沙汰なのでよくわからない。
実際、昔何度か訪れた安楽園という、明治30年創業の老舗も、今はなくなってしまったようだ。聴けば、テーマパークのようなビルに変わったということで、口惜しい限りだ。古色蒼然の昔の料亭といった風情で、なかなかうまい中華料理を食わせてもらったものだが、残念なことだ。わたしの知っている中華街はもはやなくなりつつあるのかもしれない。
(かつての安楽園)
昔から横浜中華街というのは、狭い区域の割には非常に多くの店があるため、いったいどこでなにを注文すればよいのか、途方にくれる。結局、臆してしまい、自分のわずかな知識と経験から、定番を注文することになり、まったく知識や経験の広がりや発展がなく同じようなものを食べて帰ってくる。そういうことは誰しもあるのではないだろうか。
わたしが知っている限り(だから、たいした知識と経験ではないのだが)、子供の頃から親によく連れて行ってもらった横浜中華街の味を、ちょっとかいつまんで並べてみよう。
あるていど、どこの店の何を食べるという標的が定まったほうが、より横浜中華街をエンジョイするという意味では、有益だろう。
地元が横浜だったこともあって、幼い頃から、駅前のラーメン屋、横浜駅東口の崎陽軒本店、そして中華街と、中華系の料理がわたしにとっての最初の「外食」だった。
駅前のラーメン屋では、父親がひたすら醤油スープの天津麺(要するに蟹玉ラーメン)ばかり注文していたので、わたしにとってのラーメンの定番は、知らず知らず天津麺になっていった。もっとも長じてから、大陸の天津に仕事でいったとき、本場の天津麺を食べたいとそこらじゅう探し回ったが、ついぞ本場には、わたしが想像していたような「天津麺」なるものが無かった。
そういえば、「天津甘栗」もそうだ。天津でずいぶん探したが、とんと見つけることができなかった。聴けば、天津は栗の名産ではない、という。山東省だといわれてがっかりした覚えがある。
崎陽軒本店(当時は、実に古いビルだった)では、初めて食した肉団子と中華風のコーンスープ(玉米湯)に、世の中にこんなうまいものがあるんだと、思い知らされた。これは、横浜駅西口(当時は、うらぶれたかなりヤバい感じの商店街だった)にあった、「ジャーマンベーカリー」で父親に食わせてもらったハンバーガーとコールスローも、そうだ。これらはわたしにとっては、異文化との衝撃的な最初の出会いだったのだ。
(昭和30年代の崎陽軒本店)
とりわけ横浜中華街は別格である。やはりここは横浜の人間にとっても、おそらく異界であろう。まったく次元の違う世界に迷い込んだような気がするから不思議だ。
普通横浜中華街と呼ぶが、わたしの小さい頃、昭和30年代には、まだかなりの人たちが(父親もそうだ)「南京町」と呼んでいた。聞けば、1955年に現在の中華街のシンボルのようになっている善隣門が出来たときに、「中華街」と書かれたので、それ以来、中華街と呼ぶようになったらしい。わたしも小学校の低学年ころまでは、父親がそう呼んでいたからだろうか「南京町」と呼んでいた。
この善隣門を入ったところのすぐ左に、「萬珍楼」がある。有名な「聘珍樓(へいちんろう)」はその先だ。いずれも大店だ。200軒ある中華街では一番古い。(いずれも建物は新しく、豪華だが) ところが、どういうわけか、この長い人生で、横浜出身でありながら、ついぞ親にこの二件に連れて行ってもらったことが無いのだ。だから、残念ながら、その料理のことなどなにも知らない。
父親がいつも連れて行ったところというのは、決まっている。まずなにも家族に要望がなければ、黙って「同發(どうはつ)」に連れて行かれたものだ。ここも、前二店と並んで明治以来であるから、相当の老舗だ。建物としては現在の「別館」が、いかにも時代を感じさせる建造物である。レトロで豪華さでは他に引けをまずとらない。
同發は、なにが美味いというのかは、よくわからない。同發で育ったようなものだから、だいたい味にわたし自身が馴染んでしまっているためだろう。ただ、言えることは、きわめてかたくなに、伝統的な広東料理(海鮮主体)の味を守ってきたことだろう。だから、まず料理に「はずれ」が無い。
「本館」のほうには、(わたしはそれほどとも思わないが)世上、大変有名な叉焼(チャーシュー)がある。店先にがっつりぶら下げてあるから、すぐわかる。注文すると分厚く切られたチャーシューがどっさりでてくる。とりあえず、叉焼というと、同發で食えば、「横浜中華街で、一応食った」ことになるらしい。たぶん「別館」でも頼めばでてくるはずだ。
(同發)
長じてからは、わたしが同發にいった場合には、たいてい「清蒸海上鮮魚」を注文する。時価なので、先に値段を確認したほうがよいが(時期にもよるが、びっくりするくらい高い。)、わたしに言わせれば、中華料理といえば、いわゆるこうした蒸し魚(海の魚)に限る。
(清蒸海上鮮魚)
オイスターソースであったり、ナンプラーだったりする違いはあるが、どれもまず美味い。ネギの細切りとゴマ油をかけてあり、これで白米を食ったらこたえられない。とくに、コツは魚が浸っているソースを、白米にたっぷりかけて食するのである。ほかの料理は不要だ(そもそも高いから、ほかの料理をぼんやり頼んでいると、大変なことになる)。これと白米だけで十分なのだ。これを食わなければ、中華料理を食ったことにならないと、わたしは公言している。なにも、同發に限った話ではない。
ちなみに、北京料理系は、どうもわたしは苦手である。およそ北京料理というものが、美味いとは思えない。ただ、中華街にある「華正楼」のような老舗は、北京料理とはいいながら、もはや各地の料理の併せ技となっているから、間違いなく美味い。もはや北京料理とはいえない代物だ。そのほうがいい。北京料理で美味いと思ったことは、金輪際ないのだ。北京ダックなど、どこがうまいのかまったくわからない。本場の北京にも、仿膳という大変な老舗があったが(いまはあるかしらない)、宮廷料理の名店とはいえ、まあいかないほうがいい。
だいたい北京料理というのは、もとをただせば山東料理なわけで、地元山東省のほうが、はるかに上手い。ダック一つとっても、わたしが北京で行きつけていた山東料理店では、必ず香酥烤鴨を食していた。北京ダック(北京烤鴨)のような甘い味ではない。胡椒・塩味系のパリパリ感だから、酒飲みにはおそらく堪らない料理のはずだ。この香酥烤鴨、今はなにも、山東料理屋(日本には専門店はほとんどないだろうが)に限ったことではない。
ちなみに、北京でこの山東料理の老舗に行きたいというのなら、豊澤園飯庄へ行ったらいい。ここは、うまい。北京料理というまずい食界の中にあって、異色なほどあっさり系で、上品な山東料理を食わせてくれた。
横浜中華街に話を戻す。ごく家庭料理的な中華を、こじんまりと食いたい向きには、台湾料理屋だが、「秀味園」がおすすめだ。いかにも中華中華した、大げさな店構えではない。気楽に食いたいとすれば、ここの魯肉飯(ルーロウファン)とが、ぴったりだろう。
(秀味園)
(魯肉飯)
この魯肉飯は、ぐつぐつ煮立てた豚の角肉や煮玉子、高菜その他がのっているどんぶり飯だ。複数人でいく場合、なにか物足らなければ、「パリパリ鶏」を注文すれば、ビールとの相性も絶対良いはずだ。鶏と書くが、鴨肉を使っている。これが、先述の香酥烤鴨と同じだと思ってよい。塩と黒胡椒で味付けされていて、表面がまさにパリパリで、食感といい、味といい、わたしは、中華料理の中で、北京ダックなんぞより、遥かに美味いと思っている。
さて、上海料理はどうかというと、実はわたしは、上海料理がそれほど得手ではない。味噌系、甘い味系のイメージが強く、さほど触手が動かないのだ。それでも、上海という向きには、わたしが知っている限りでは、老舗でいえば、「状元楼」である。
(状元楼)
「状元楼」の店構えは、同發別館と違った意味で、異国情緒たっぷりで優雅な空間である。同じく、客を連れて行って恥ずかしくない。「状元楼」でわたしが食べるといったら、普通上海料理といえば、蟹ということになるのだが、北海道や北陸の蟹を食ったら、上海蟹なぞ蟹のうちには入らないと思っているので、パス。上海料理名物のすっぽんも、鰻も要らない。
まずは鶏肉(そぼろにしてある)と松の実炒めのレタス包みが、絶品である。これは確か「同發」でも食した記憶があるのだが、どこの高級中華料理屋でも、聞けばたいていあると思う。鶏の場合もあるが、本来は鴨肉だ。本当は鴨のほうが、美味い。
(鶏肉と松の実炒めのレタス包み)
上海料理屋にきて、蟹を食わないわけにはいかないとすれば、ソフトシェルクラブ(脱皮したての蟹)のぴリ辛香草揚げは、まず間違いなく美味い。それでわたしなどは腹いっぱいなので、あとは麺で締めて十分だろう。
(ソフトシェルクラブのぴり辛香草揚げ)
お次は、おなじみ四川料理でいこう。とにかく辛いのが食べたいという向きは、横浜中華街の老舗は言うまでもなく「重慶飯店」ということになる。いわゆる正統派だから、間違いはない。
ただ、わたしも若い頃のこと、そうそう高給店に行けたわけではないので、馴染んだ味というのは、裏通りといってもよい「市場通り」沿いにある「京華楼(きょうかろう)本館」だ。「重慶飯店」は、その時分のわたしにはやや敷居が高かったのだ。
「京華楼」は、それに比べると、値段がリーズナブルなので、四川といえば「京華楼」だった。ほかの地域の中華料理もあったりするので、コンセプトがはっきりしないのだが、いわゆる陳麻婆豆腐と、四川坦々刀削麺は、確かに美味い。刀削麺はもともと山西料理のはずだが、まあ硬いことを言わず、うまければよいではないか、といったところ。言うなれば、四川+山西のコラボ料理としては、おそらく成功例の上位にはいるくらい美味い。なお、「京華楼 別館」が中華街大通りのほうにもあるが、行ったことはない。おそらく同じ内容だと思う。
辛さでは、「重慶飯店」のほうが、やや控えめで、高級店だけに上品な四川ような気がする。コストパフォーマンスが良いのと、味がこれでもかという辛さを押しつけていないからか、どこか上品な味なので、そういう人向けにはいいかもしれない。
値は張るが、やはり本当に辛いのをというのであれば、「重慶飯店」でいいだろう。実は四川系は、たくさんある。陳健一さんの「福満園」もそうだ。しかし、どうもわたしには、四川というのは、違いがそれほどよくわからない。辛いからどれも、それなりに食えてしまう、ということがあるかもしれない。
軽く、あっさり、しかし味はしっかりした、おいしい中華麺を食べたいという人には、「海南飯店」をお勧めする。なにしろ間口の小さい、家庭的な店構えなので、周囲の「華正楼」だ、「華勝楼」だ、「同發」だ、「白楽天」だ、と大店が立ち並ぶ中では、やけにひっそりした感じだが、まず満足するはずだ。
(海南飯店)
ここは、「ネギそば」に限る。一見、淡白で、無愛想な塩味そばに見えるが、どうしてどうして味はしっかりしており、これをまずいという人はほとんどいないはずだ。これと半チャーハンで十分だろう。あっさり系なのだが、どういうわけか味はしっかりしている。チャーハンも馬鹿にならない。わたしは、こういう店は結構好きなのである。
(汁無しネギそば)
さて最後は、飲茶(ヤムチャ)だ。これは、香港に二度にわたって、長年住んでいたわたしとしては、どうも日本で飲茶をする気にならない。だいたいろくな経験がないからなのだ。飲茶というのは、いわゆる小点心を、より取り見取りで、ポーレイ茶(プーアル茶)を飲みながら、だらだらと食べるあれだ。
それでも、香港を離れて年月が経つと、どうしても飲茶をときどきしたくなる。中華街で飲茶というと、わたしはあまり知らないのだ。だいたい昔から、中華街に飲茶というスタイルはそう流行していなかったのだ。この十数年といったところではないだろうか。
わたしがずっと昔に通った飲茶系の広東料理屋というと、路地にある「順海閣」だけである。それも「本館」だけだ。「酒楼」もあるようだが、入ったことはない。おそらくこれもほとんど近接しているから、そう大して違いがないのではないだろうか。
この「順海閣」も老舗なのだが、創業者はあの崎陽軒のシウマイの開発に携わった点心師である。もうそこから三代目くらいになっているかもしれない。ここで、一般的な飲茶はおいしくいただける。ちょっとがっつり一品取りたいという場合には、広東風スペアリブをお勧めする。これは美味いと誰でも言うはずだ。ただ、基本、広東料理屋とはいえ、飲茶一本できたわけではない店なので、飲茶をとにかくしたい、という向きには、いまひとつ満足がいかないかもしれない。
おそらく、飲茶に関しては、近年乱立してきていると言われるバイキング形式の中華料理屋が、こぞって競争をしていると思われるので、今はたくさんの飲茶店があるのではないかと思う。
わたしが香港時代以来、一番好きな点心というのは、「スペアリブと黒豆の味噌煮」だ。いつも、こればかりいくつも頼んで、ポーレイ(プーアル)茶をがぶ飲みしていた。適当に、水餃子や脂粉、大根餅などつまみながら、最後はたいてい福建炒麺で終わらせるというのが、わたしの飲茶の一通りのコースだ。
(スペアリブと黒豆の味噌煮)
この焼きそばは、香港の干焼伊麺(コンシーイーミン)がなにしろ美味いのだが、どういうわけか、中華街でお目にかかったことはない。人づてに、何件か出しているらしいのだが、いつも適当に入ってしまうので、未だに探せずじまいだ。もし、これがある飲茶の店に入ったら、おすすめだ。日本の焼きそばとは、一味違うが、まず美味いと思うはず。
店はどこで出しているのかよく知らないが、香港時代、非常に好んで食べたものがある。冬瓜(とうがん)スープだ。季節もののはずだが、秋から冬場はやっているのではないだろうか(いや、夏だったかもしれない。)。この冬瓜スープは、香港でもそうだが、食べたことがない人は一度試したらいい。まず、美味いはずだ。
どこの広東系にしろ、もし冬瓜スープを出していたら、まず腕は間違いないように思う。それも、陶器の椀ででてくるのではない。冬瓜をくりぬいて、そのままあつあつに蒸したスープに、肉や海鮮などが入ったスタイルでなければならない。初めての人は、まず見た目、びっくりするはずだ。
(冬瓜スープ)
さてさて、南京町と呼ばれていた時代から、実に古い中華街の往年の店ばかりを紹介したが、多少なりとも横浜に来たときには、参考になるかもしれない。美味い店があったら、ぜひ教えていただきたい。なにしろ、何年というタームで、わたしも足を運んでいないのだ。
最後に、こっそり裏メニューを書いておこう。子供の頃から馴染み深い、例の「同發」なのだが、別館が実に古い、しかし豪華な建築物であるのに対し、本館というのは、こちらのほうがよっぽど古いのではないか、と思うくらいの感じ。中に入っても、結構狭く、雑然としていて、別館とはえらい違いなのだ。
この大丈夫かな、と思うような本館のほうに、裏メニューがあった。(少なくともわたしが知る限りはあった)それは、カレーライスなのだ。老舗の中華料理屋でなぜカレーライスがあるのか、不明だが、メニューには載っていなかった。
そもそもなぜこの裏メニューをわたしが知っているのかもよくわからない。わたしが高校生の頃には、一人で同發本店でこれを食っていたのを記憶しているから、小学校の頃にでも父親に教えてもらったのではないだろうか。
ただ、店の人に「排骨カレー(パイグー、日本ではパイコーと呼び習わされているが)」と注文すると、ちゃんとでてきた。飯がかなり多いので、腹いっぱいに食いたい向きにはうってつけだったのだ。食っても食っても腹が減った高校生の頃に、この同發裏メニューの排骨カレーが強く印象に残っている。聴けば、もともと厨房での「まかない料理」だったそうだ。50-60年前にはじまったようなので、わたしが父親から教えてもらったとすれば、話は合う。なにも中華街だからといって、中華料理ばかり食うのが能じゃない。
要するに中華風のカツレツが乗ったカレーライスなのだが、悪くないのだ。ガイドブックやぐるなびに飽きた人は、一度話のネタ用に食べてみたらいいだろう。
「横浜のさ、中華街行ってきたよ」
「へえ、なに食べたの?」
「カレー」
粋じゃないか。
:::
(以下、余談)
話が脱線するが、この裏メニューを食するとか、あるいは美味いと思うかどうかは別として、「歴史を食う」とかと言うことで言えば、すぐ中華街からほど近い山下公園や埠頭に面して「ホテルニューグランド」で、ナポリタンスパゲッティを食するという手もある。
(ホテル・ニュー・グランド)
実は、世界に、「ナポリタンスパゲッティ」なるものは、存在しない。日本だけである。あるTV番組で、本場イタリアで、このトマトキャチャップをつかった日本式スパゲッティを食わせてみたところ、食う前には馬鹿にしていた彼らは、意外な顔をして「美味い」と異口同音に言っていたのを見たことがある。それみたことか。
このナポリタン・スパゲッティは、終戦直後、ホテルがGHQに一時接収されていたときに生まれた。ちょうど米軍によって、トマトケチャップが日本に入ってきた頃で、当時の入江総料理長がつくった料理だ。
実は、ニューグランドで生まれた、もうひとつの料理がある。「ドリア」である。これは、戦前、ワイル初代総料理長があみだした料理だ。ドリアというと、フランスか、イタリアかと思いきや、はたまたグラタンの親戚のような、といろいろ考えられそうだが、実は「日本料理」である。その発祥が、このニューグランドだ。今でも、定番で、ナポリタンもドリアもニューグランドにはある。両方とも、コーヒーハウス「ザ・カフェ」でいただける。
横浜は狭く、歴史も浅いが、文化の中身はたっぷり詰まっている。
食い物こそが、文化だからだ。