危険な作家の、痛快な一編

文学・芸術


これは256回目。今回は文学談義ですが、気楽に読めるものにしましょう。日本の代表選手として太宰治に登場してもらいます。「え、太宰?」とびっくりしないように。一見暗さがつきまとう太宰治にも、クスっと笑ってしまうような軽妙な名品もあるのです。・・・

:::

まず紹介するのは、太宰治の『満願』だ。行間を読むと、思わずニヤリとしてしまう。軽妙にして、太宰とは思えぬ健康的なその内容に、まだ読んでおられない方がいれば、一驚されるかもしれない。

『満願』は夫が病気療養中のため、夫婦の営みを3年もの間、医者に禁じられた妻の姿を、主人公である「私」の目線から描いた短編である。医者は、若妻が薬を取りに来るたび、「奥さま、もうすこしのご心棒(しんぼう)ですよ。」(原文引用)と大声で叱咤していたのだが、療養の甲斐あって、ついに許しが出る。ラスト部分を引用してみよう。

八月のおわり、私は美しいものを見た。朝、お医者の家の縁側で新聞を読んでいると、私の傍に座っていた(注=医者の)奥さんが、
「ああ、うれしそうね。」と小声で囁(ささや)いた。
ふと顔をあげると、すぐ眼のまえの小道を、簡単服を着た清潔な姿が、さっそうと飛ぶように歩いていった。白いパラソルをくるくるっとまわした。
「けさ、おゆるしが出たのよ。」
奥さんは、また、囁く。
三年、と一口にいっても、――胸が一ぱいになった。年つき経つほど、私には、あの女性の姿が美しく思われる。あれは、お医者の奥さんのさしがねかも知れない。

太宰というと、私などは『駆け込み訴え』『ヴィヨンの妻』などを、若い一時期それこそ溺れるように読んだ経験があるが、いまだにこの作家をどう評価していいのか、分からない。行間から、死臭が漂ってくるような思いがつきないのだ。そうした中で、この『満願』は「太宰らしくない」からか、人に薦められるほど爽やかな、そして「大人のユーモア」を感じさせる名品だと思う。

太宰の小説は、その多くが確かに危ないものを持っている。だから、青春期に耽読する人たちも多いし、後追い自殺をしてしまうような読者も後を絶たない。彼自身の生き様、死に様というものを切り離し、独立した作品としてのみ読んでも、微笑みながら死へ誘う危険な香りが消えない。以前、「小説というものは、作家の生き様や人となりを知って初めてその意味を解釈すべきなのか。それとも、作者本人とは切り離し、あくまで独立したものとして解釈すべきなのか。」と書いたが、その問題がもっとも当てはまる作家の一人が、この太宰治だと思う。

太宰のような麻薬のような危険を孕(はら)んだ小説というと、ドストエフスキーもそうかもしれない。これも私は、青春の一時期、まさに溺れるように読んだが、読後感は、太宰のそれに近いものがあったことを記憶している。『カラマーゾフの兄弟』のイワンや『悪霊』のスタブローギンに、自分を重ね合わせて、平然と殺人を行なう者が、世界的にもどれだけ出たことだろう。そういう意味では、確かに同じような「死への誘い」がドストエフスキーの小説には、ある。

太宰は、生涯、長編小説というものが書けなかった。書きたくて書きたくて仕方がなかったが、せいぜい中篇どまりだった。けっきょく短編の名手として文学史にその名を残したが、最後まで芥川龍之介を越えられなかったという思いが二重のコンプレックスとなって、やぶれかぶれの小説を書きなぐり、情死した。

そんな太宰だから、先述の『満願』は意表をつかれるはずだ。人間に対する満々たる情愛を感じさせる内容に、読後感はどこか浮き浮きさせてくれるだろう。教科書によく使われる、道徳教育的な『走れメロス』など、正直太宰に似合わない。もっとも、『満願』を教科書にはさすがに載せられないだろうが。第一、先生が解説に窮してしまうだろう。

こうした「色モノ」ではないが、やはりユーモアで満ちたものに、『親友交歓』『春の盗賊』という作品もある。読んで思わず噴き出してしまう。いるいる、そういうやつ、という感じだろうか。自暴自棄的なユーモアが炸裂しているから、息抜きには最適の小品だろう。爆笑すること請け合いである。

『親友交歓』は、要するに「どうしようもなく不愉快な客が、わけの分からないことを言い、去っていく」だけの話だ。それがとてつもなく面白い。かなり質の良いコントを読んでいるようなものだ。『春の盗賊』は、基本的には同じテイストだが、小説とも随筆とも言えない。いわば、太宰本人の呻(うめ)き、悲鳴そのものだと言ってもいい。太宰の魔力の「からくり」というものが、おそらくこの二編で「なるほど」と分かる。露悪的趣味とも呼ばれるものだ。

それが、こういう明るい内容であればともかく、『斜陽』だの、『人間失格』だことの、人間の心の闇をあからさまに光の中に暴き出すような作品になってくると、その「からくり」は一転して「死へ誘う」凶器になる。確かに、危ない作家であることは間違いない。どうしても、この作家、「条件付き」でしか、好きだとは言えないし、人にも薦められないようだ。



文学・芸術