運命の赤い糸

宗教・哲学, 文学・芸術, 雑話

これは379回目。昔中学生のとき、先生から教えられて、中国の古典物語『定婚店(ていこんてん)』を読んだことがありました。運命の赤い糸の伝説の原典とされているものです。中国では、「紅線(hong xian、ホン・シエン)」と言います。

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北宋時代の奇談類集『太平広記』に収められている逸話『定婚店』。

唐の頃、韋固(いこ)という人物が旅の途中、宿場町で不思議な老人と会う。月下老人(中国では、「月老(yue lao、ユエ・ラオ)と言う)が、寺門の前で大きな袋を置いて冥界の書物を読んでいた。

老人は現世の人々の婚姻を司っており、冥界で婚姻が決まると赤い縄の入った袋を持って現世に向かい、男女の足首(手の小指ではない)に決して切れない縄を結ぶという。この縄が結ばれると、距離や境遇に関わらず必ず二人は結ばれる運命にあるという。

老人によれば、韋固には別人と結ばれた赤い縄があるため、今続けている縁談は破談すると断言。では赤い縄の先にいるのは誰かと聞けば、相手はこの宿場町で野菜を売る老婆が育てる3歳の醜い幼女であった。

怒った韋固は召使に幼女を殺すように命令し、召使は幼女の眉間に刀を一突きして逃げたが殺害には失敗。

縁談がまとまらないまま14年が過ぎ、相州で役人をしていた韋固は、上司の17歳になる美しい娘を紹介されついに結婚した。この娘の眉間には傷があり、幼い頃、野菜を売る乳母に市場で背負われていると乱暴者に襲い掛かられて傷つけられたという。

韋固は14年前のことを全て打ち明けて二人は互いに結ばれ、この話を聞いた宋城県令は宿場町を定婚店と改名した。

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こういう物語を読んで、いつも不思議に思うのは、なぜ老人は「醜い」と嘘を言ったのであろうか? 月下老人ともあろう者が、間違えることなどあるのだろうか? しかも老婆に育てられているといっても、乳母であり、家柄はずっと良い娘である。なぜ、それを言わなかったのだろうか?

それとも、「真実」を予言するとき、「嘘」を織り交ぜる暗黙のルールがある、ということなのだろうか。

たとえば稲荷というものは、祈願者が悪人であろうと「相手を選ばない」とされるが、必ず最初に試練とも言えるような、運命の悪化を与え、その信心のほどを確かめるクセがあると伝えられているのと通じるものがあるかもしれない。

それにしても中国というのは、本当に面白い奇談というものが死ぬほどある。日本人作家も多くが、『聊斎志異(りょうさいしい)』を始めとする怪談奇談の宝庫にモチーフを求めた。

東南アジアにもこの種の「赤い糸」の伝説は多く頒布しているらしいが、中国原典なのかどうか、よくわからない。

インドやアジアの一部の国では、結婚式のときに赤い紐や布で花嫁と花婿を儀式的に結び夫婦円満を願う風習があるというし、ユダヤ人は旅行をするときに家族が手首(やはり小指ではない)に赤い紐を結んで旅の安全を願うなど、幸いから身を守る為に赤い糸を使っていたという。今はどうなんだろうか?

驚くべきことに、アメリカでも幸運のお守りとして身につける事があり、運命の赤い糸の事を英語でThe red string of fateという。

全部、中国原典なのだろうか。それとも自然発生的なもので、偶然の賜物なのだろうか。

日本にもあるのだ。『古事記』である。内容はこんな感じである。

『三輪山(みわやま)伝説』によれば、紀元前97年~紀元前30年頃の崇神天皇の御代、に活玉依毘売(いくたまよりびめ)という美しい女性がた。

彼女のところに毎晩通ってくる男がいた。その男はとても立派に見えたが、夜が明ける前に帰ってしまうので、明るい所で男性の姿を見た事がなかった。

二人は夫婦の契り結び、間もなく妊娠。

何も知らなかった両親は娘の妊娠に驚き相手が誰なのか問いつめた。

彼女から男の話を聞いた両親が心配して「その人が来たら、寝床の前に赤土をまき、そして麻糸を通した針を服に刺しておく(これも、手の小指ではない、服である)」ように言った。その糸を辿れば住んでいる場所がわかるというわけだ。

男が帰ったあとにその糸を辿ると三輪の神社に着いたので、男性が三輪の神様である大物主神(おおものぬしのかみ)であることがわかったという物語。

昔赤土には、邪を防ぎ相手を特定してくれる力があるとされていた。

その赤土が付いた糸が『運命の赤い糸』を思わせ、大切な人を導いてくれると言われるようになったというわけだ。

日本ではこの三輪山伝説によって赤い糸が広まり、結婚の際に契りを意味すると言われるお互いの小指に赤い糸を結ぶのが流行(どこで、衣服から小指に変わったのか?)。現在でも運命の出会いを赤い糸で表現している。こんな経緯が日本にはあるようだ。

北宋時代というと、960年 – 1127年である。

一方、『古事記』はというと、天武天皇の命で稗田阿礼(ひえだのあれ)が「誦習」していた『帝皇日継』(天皇の系譜)と『先代旧辞』(古い伝承)を太安万侶が書き記し、編纂したものだが、和銅5年(712年)に太元明天皇に献上されている。

ということは、これらの歴史年表の事実が正しいとすれば、日本の「赤い糸」の伝説は、中国のそれよりも早い段階で成立していたことになる。

もちろん、『太平広記』は漢の時代まで遡って、故事を集めたものであるが、書物として記録に残ったのは、間違いなく『古事記』より後のことだ。

もしかすると、アジアやユダヤ人、アメリカなどでの類似の伝承も、自然発生的なものだったかもしれない。

もっと飛躍すれば、「赤い糸」というのは、「ほんとうにある」のかもしれないじゃないか。

ちなみに、逆もあるらしい。怪談になってしまうが、先日聴いた話では、別れた男に付きまとわれていた女性がいる。

実家にまで男が押しかけてきて往生した。なにせさんざん暴力をふるうのだ。SMプレイではない。ほんまもののDVである。実家では警察を呼んだくらいだ。

見かねた女性の祖母が、裁縫に使う握り鋏(糸切ばさみ)を渡され、「あんたは嫌かもしれないけど、あの男ともう一度寝てきなさい。彼が寝静まったら、それで二人の間をこれで切る仕草をしたらいい。ハサミには、そういう不思議な力があるんだよ。」と言ったそうだ。

気が進まないものの、彼女は男のところへ行き、さんざんいたぶられたが、寝静まった後、祖母の言うとおりにすると、以来、男はまったく現れなくなったそうだ。ちなみにこの男、その後悲惨な目に遭う。

なにも、縁切り寺、ばかりじゃないらしい。

では、二本指を使った「手刀」だったらそうなんだろうか。「九字切り(六甲秘呪)」と同じで、修行を積めば、「手刀」でもいけるかもしれない。