『みろく』の世~ネアンデルタール人も同じ月を見ていたのか?

文学・芸術

これは60回目。むかしむか~し、人類が見ていた夜空や、地球の風景というものは、基本的に今と同じだったのでしょうか。こういう無駄なことをしょっちゅう妄想に耽る自分がいます。みなさんはどうですか?

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夜、月を眺めていると、1000年の昔、平安の人々もこれと同じ夜空の風景を愛でていたのかと感慨深くなる。宇宙は、気の遠くなるような時間軸で、しかし確実に変貌している。もちろん、1000年くらいでは夜空の風景も変わりはしない。が、ではネアンデルタール人も、これと同じものを見ていたのか。

ネアンデルタール人と言えば20万年前に出現し、2万数千年前に絶滅したヒト属の一種である。現生人類(ホモサピエンス)と称する、われわれの祖先とも考えられた時期があったが、どうやらそれは間違いで別種だそうだ。27万年くらい前に、分岐したらしい。

そして、ネアンデルタール人が出現した20万年前、月はどのように見えていたかというと、結論から言えば、やはりあまり変わらない。なにしろ、地球は46億年前に誕生しているから、20万年といっても“誤差”の範囲にすぎないのだ。

地球の直径が1万2756キロメートル。これに対して、月の直径は3476キロメートルだ。これもピンとこない。日本の北海道の北端から九州の南端まで、直線で結ぶとおよそ2000キロメートルである。月の直径はその約1.5倍の大きさだと思えばよい。もっと分かりやすく言えば、「ピンポン玉が地球」で、「パチンコ玉が月」。それを尺度に、地球と月の距離を1メートル10センチとすると、ほぼ正確なイメージになる。

地球の潮の干満を引き起こす力を、「潮汐力」(ちょうせきりょく)という。地球と月の距離(天体間)の3乗に起因し、月の潮汐力は太陽の2.2倍と大きい。月のほうが、太陽より近いからだ。その位置関係で新月満月は大潮に、上弦下弦は小潮になる。しかも、月の軌道は楕円のため、近地点ではさらに潮汐力が大きくなる。

この潮汐力が、地球の自転にブレーキをかけている。月は地球の海水を引きずるように公転し、地球の自転を減速させている。月は軽いから、その反作用で自転そのものは止まっている。そして、地球から年にわずか3.8センチ程遠ざかっていく。これを、逆にずっと過去に遡っていくと、驚きの事実が判明してくるという。

地球や月ができた約46億年前、地球と月の距離は、現在の20分の1から16分の1だったらしい。距離にして、1万9220~2万4000キロメートル程度。

「ロシュの限界」という理論( 1848年)がある。惑星や衛星が破壊されずに、その主星(しゅせい)に近づける限界の距離のことだ。つまり、地球(主星)と月(伴星)とがお互いを破壊しない、ぎりぎりの接近距離が必要となる。その限界となる距離より内側に入ると、地球の潮汐力によって月は破壊されてしまうのだ。

このロシュの限界(地球半径の2.44倍)は、地球から4240.72キロメートル。仮に地球や月ができた約46億年前、地球と月の距離が2万4000キロメートルであれば、現在の静止衛星の軌道が3万5680キロメートル上空にあるから、それより近い位置に月があったということになる。

この場合、月の見かけの大きさは、現在の約400倍だったという。ほとんど、空全体を覆っているように見えたのではないだろうか。しかも当時は、10時間くらいで地球を一周していたと推測されている(現在は29.5日)。

そのため、なんと5時間に1回は大潮があった。その大潮も半端なものではなく、現在の10分の1の距離で、干満のインパクトが1000倍はあったというから驚く。海面の高低差は、現在が1メートルとすれば、1キロメートル以上はあったらしい。もっとも、これは地球が誕生したばかりの頃だ。ヒト属はおろか、ネアンデルタール人も恐竜も、三葉虫でさえ、これを目にすることはなかったろうが。

太陽の寿命は100億年。すでに50億年は経過しているらしい。あと半分だ。人類はまだ生き残っているだろうか。いや、そこまで人類は生存していないらしい。なにしろ、太陽は10億年後には、今より10%明るくなっており、地球上の水はすべて蒸発。およそ生命体は存在できない環境になっているからだ。

さらにその後、40億年が過ぎると太陽は赤色巨星になり、水星・金星は膨張した太陽にのみこまれ、地球は太陽系外に弾き飛ばされる。太陽は地球くらいの大きさになり、ただの白色矯星(わいせい)になる。

ちなみに弥勒菩薩(みろくぼさつ)は、釈迦入滅から56億7000万年後に、再びこの世に降臨して人類を救済する、と仏典にはある。ちょうど、太陽が輝きを失う50億年後と、非常に近似値であることから、この世の終わりを、「ミロクの世」と呼んだりしたものだ。

ところがこの計算、後世の間違いで、仏典が書かれた頃の計算単位と方式をそのまま行なうと、「弥勒降臨」まであと5億7600万年になる。先述通り10億年後には、地球から生命が消滅しているわけだから、実際に危機的状況があらわになってくるのは、もしかしたら、この弥勒降臨の5億7600万年後かもしれない。だとすると、恐ろしく気の遠くなるような、しかし正確な予言ということになる。

いったい、“ミロク”とは誰なのだろう。ただ、星の終焉を仏に仮託した比喩にすぎないのか。「救済」とは、どういう意味なのか。

46億年前の地球に立って、海抜1キロメートルの大津波と大引き潮、そして空を覆うばかりの月を見てみたかったとも思うが、そもそものんびり立っていられるような環境ではないのだろう。そしてそのとき以上に、この地球には、これから凄絶過酷な運命が待っている。

毎晩、帰り道に月を眺めて、しみじみとした気分に浸るのはなんとも呑気な話だ。地球温暖化だ、なんだと騒いでいる今が、実はこの地球で一番幸せなときなのかもしれない。たかがちっぽけな人間。されど人間。宇宙がほんの一瞬ため息をするうちに、私たちの歴史がささやかな閃光を放つ。

一粒の砂に世界を見て、
野に咲く一輪の花に天界を映す。

手のひらに無限を収め、
一瞬の中に永遠を閉じ込めよ。
(ウィリアム・ブレイク「無垢の予兆」より)



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