今夜のお宿は・・・

文学・芸術

これは284回目。駆け出しのサラリーマンの時代、独身だったこともあって、毎週のようにバイク(といっても400ccしか乗れないのだ)で、ツーリングばかりしていました。ほぼ毎週です。

:::

当然、長距離は無理なので、せいぜい関東近県ばかりである。最長不倒距離では確かに、横浜から九州までの往復があったが、これは夏休みすべてを使ったので例外的だ。(このときはすべて野宿であった)

若い頃から老成していたのだろうか、ふだんのツーリングでは必ず、現地で温泉に入れてもらって帰ってきた。ただ、月に一度は、旅館泊をしていた。2-3年はこうした週末を過ごしていたので、かなりのお宿に厄介となった。この時代、ほぼ給料は、このツーリングで消えた。

基本的に、ソロ・ツーリングであるから(山登りとバイクは、単独行に決めていた。群れるのはどうも好かなかった)、旅館に入ると、風呂に何度も入っては、部屋で一人で本ばかり読んでいたのだ。傍から見れば、やはりかなりの変人としか思えない。

今回は、そこでお世話になったお宿を、自身の経験からだけだが、いくつか紹介しておく。独断と偏見であるし、温泉宿といったらいくらでも、良いところがあるだろうから、その点はご容赦。自分の経験に照らして、思い出深いものを並べてみようという趣向だ。

まず、群馬県は四万(しま)温泉の積善館から。話のネタにもなるので、素人好きがするという点では、申し分ないように思う。

(積善館)

温泉0

なんでも、日本最古の温泉建築宿だということだが、歴史は300年以上、元禄の時代から続いているらしい。

この旅館は、本館・山荘・佳松亭と三つの建築物で構成されている。本館は、宮崎駿監督によるスタジオジブリの長編アニメーション映画「千と千尋の神隠し」でモデルになったという。

(赤い橋)

温泉1

千が仲居として働いていた最中に、宿舎として利用していた建物のモデルのひとつだそうだ。確かに本館の前には川の上に赤い橋がかかっていて(前掲の写真)、そういえば似ているかもしれない。館内には、千が不思議な国に迷い込む時に通った、奇妙なトンネルのモデルとなった、そのトンネルもある。

(館内トンネル)

温泉2

しかし、なんといっても、この積善館の魅力は、いかにも老舗の木造建築と、やはり温泉なのである。有名なのは、「元禄の湯」と呼ばれる大風呂で、大正ロマネスク様式。昭和5年(うちの実母と同い年だ)に作られたお風呂なのだ。

(元禄の湯)

温泉4

確か、吉永小百合の「天国の…」とかいう映画でロケに使ったという話だったように思うが、よく知らない。

露天風呂の「杜の湯」というのもあるらしいが、わたしの時代にあったか、どうも記憶にない。ただ、案内の写真によれば、かなり豪勢そうだ。

あの当時、長居して湯治をする、いわゆる湯治棟があったが、今はどうだろうか。朝になると、牛乳やら、自炊用の贖罪やらを売りにくる業者を見たことがある。

湯治で思い出したのだが、同じく群馬県に、塩原温泉がある。その「奥塩原」に、よく赴いた旅館がある。「明賀屋本館」という。その後、改築されているらしいので、わたしが通っていた時代とは、かなり趣が変わってしまっているかもしれない。

(昔の明賀屋本館)

明賀

もっとも、道を挟んで山側に、「太古館」という別棟があり、こちらはいまだに昭和レトロのままで残っているようだ。

もともと、本館のほうは渓谷断崖の上に立った豪壮な(確か)3-4階建てだったように思うのだが、口コミを読んでみると、客室はかなり古いままで残っているらしい。リノベーションは、表正面やエントランス、大部屋といったものだけなのかもしれない。30年行っていないからわからない。

が、なんといってもこのお宿は、露店風呂が絶品である。渓谷の下までとにかく、延々と湯治棟に沿った長い階段・廊下を降りていくのだ。これ、部屋に帰るとき、上るんだよな、といつもげんなりしながら風呂に行った記憶がある。

(露天風呂まで降りる湯治棟沿いの階段・廊下)

画像6

画像7

画像8

湯治棟は、わたしが行った時代も倒壊の危険があるからということで、使用禁止。ときどき中を覗くことのできる場所があったりしたが、要するにすべて「開かずの間」になっている。ほとんどが板で封じられている、その横の廊下・階段をひたすら降りていくのだ。夜風呂にいくときには、かなりミステリアスである。

渓谷まで降り立つと、露天風呂がある。鉄分を多く含み、塩原というだけあって、塩泉である。だから、冬などは、体が非常に温まる。この渓谷に流れる川と、ほとんど同じ海抜にあるし、紅葉の季節、あるいは新緑・深緑の季節は、ほんとうに野趣溢れるいい露天だと思う。いわゆるべトンを固めただけの、荒削りの昔ながらの露店風呂だというのが、また気が利いている。

(明賀屋本館の露天風呂)

画像9

基本、混浴だが女性も心配無い。一応。女性専用の時間帯とか決まっている。夜ともなると、その風情はたまらない。

さてさて、群馬というのは本当に温泉が多い。このほか、有名な水上温泉がある。露天ということになると、どうしても汪泉閣を出さないわけにはいかないだろう。一見、どうということのない現代建築の表正面だが、それは東館だけのことで、もともとわたしが行っていたころは、本館(昭和30年代)・別館(昭和11年)の木造建築ばかりに泊まっていた。記憶が定かではないのだが、東館の鉄筋コンクリート建築というのは、無かったような気がするが、このへんは記憶そのものが曖昧だ。ただ、写真を見る限り、この東館も本館・別館と同じような木造りのシックな趣で統一されているようだ。

(汪泉閣)

画像10

しかし、この汪泉閣は、天下一と威張るだけあって、その露天風呂の数の多さと、大きさに結構びっくりする。たとえば、一番大きい200畳面積の子宝の湯などは、圧巻である。

そのほかにも、魔訶(まか)の湯120畳、般若の湯50畳、摩耶の湯100畳、それに立派な内風呂もあるわけで、ここは湯量が半端ではないことがわかる。

明賀屋本館とは違った意味で、野趣溢れるいい風呂だ。豪快というのは、このことだろうという感じがする。おそらく、若い人たちがつるんでいくには、もってこいなのかもしれない。

さて、今度は南に下って、箱根だ。ここはまたいくらでもあるから、どうにも収拾がつかない。本当はお勧めしたいのが、宮ノ下にある対星館なのだ。自前の小さなケーブルカーで、蛇骨川沿いまで降りたところにあるのだ。大和館もいいのだが、隣のくせに、これまた別の自前のケーブルカーでないと行けない。わたしはお気に入りで、ようお世話になったものだ。

文人がよく使ったところだが、老朽化しすぎたため、近年はリニューアル中だ。2016年には出来上がるという予定だったらしいのだが、未だにどうもできていない。遅れているのか。できたら、公式ホームページで様子を見てみたいものだ。

最後は、中伊豆の天城荘だ。ここは、子供のころから行っているところなので、懐かしい。ここもリニューアルしたようだ。昔は、中伊豆のこのあたりにくるには、河津からバスで行ったのだが、なにしろ未舗装路のくねくねした山道、それもバス一台しか通れないような状況だったから、車が行違うのにも大変だった。

(天城荘露天風呂)

画像11

ここは、滝(落差30m)の大滝を目前にした露店風呂が有名だが、一つだけではない。東屋に囲われたような半露天風呂もいくつかある。どうも、映画「テルマエロマエ」のロケでも使ったらしい。そのほかにも、滝壺横には30m続く「穴風呂」というのがある。洞窟だ。カンテラの灯が幽玄な感じを醸し出している。男女入口は別なのに、穴風呂を奥へ奥へと入っていくと、結局合流してその先にどんづまりがある。

(穴風呂)

画像12

また、本館から滝壺まで降りていく崖には、それをくり抜いていくつも洞窟風呂がある。この洞窟風呂は、入って木戸を閉じれば、貸し切り状態になる。これまた、同じくカンテラの趣が非常によろしい。

基本この天城荘の外湯はすべて混浴だが、なにしろ子供連れが多いので、みな水着着用して入っている。水着持ち合わせがない人には、貸出している。温泉プールも25mくらいのものがあるので、確かに子供連れにはよさそうだ。部屋も古いと言っても非常に清潔だ。ここも、団体向きかもしれない。風呂の多さからいっても(内風呂は、大風呂でしっかりており、本館と同じ位置にあるので、露天や洞窟風呂のように降りていかなければいけないということはない。)、多分に素人好きのするお宿だ。

ということで、いくつか、関東近県でバイクツーリングした場所のうちでは、わたし自身リピーターになった代表的なところを列挙した。まだまだ、偏った趣味のわたしとしては面白いところはあるのだが(法師温泉とか)、一般的ではないということで、排除した。

ということで、皆々様、関東近県にいらっしゃるときには、英気を養っていただければと思う次第。ささやかな地球の歩き方は、これで幕。



文学・芸術