日本人と日本語のルーツ
これは20回目。noteに20日連続投稿となりました。わたしのnoteを読んでいただいた方に感謝しております。何にせよ自分の為になっています。いや~noteって不思議。
さて本日は我々の原点にもどって、主に日本語ってどこからきたんだろう、というお話です。一般的な王道の定説とは、まったく違う見方です。
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日本人ほど、日本人論の好きな民族はいない、と言われる。実際、昔から本屋にはおびただしい日本人論の書籍が並べられてきた。日本人は、自分のことが大好きなのだろうか。それとも、それほどアイデンティティが欠如しており、それを希求しているからなのであろうか。不可解な特性である。
以前、NHKでDNAによる日本人の民族構成比が報道されていたのをみて、興味深いことがあった。日本人を民族別のDNAで分けていくと、朝鮮民族のDNAは24.2%、漢民族25.8%、琉球人16.3%、アイヌ人8.1%で、日本固有のDNAは4.8%だという。残りはそれ以外ということで、雑多に分かれている。
同じ事を中国人でやってみると、漢民族のDNAが全体の60%を占める。韓国では、朝鮮民族のDNA全体の40.6%で漢民族のそれが21.9%。いずれにしても、自国民族のDNAが圧倒的多数を占めているわけだ。これに対して日本では、圧倒的多数を占める民族DNAというものがない。混在、バラバラ、ドングリのせいくらべ、である。
言語を見ても、その重層構造ははっきりしている。文法というものは最終的に支配民族のそれにならうと言われているように、日本語の文法は朝鮮語のそれと酷似しており、いわゆる蒙古語、トルコ語などと同じ膠着語(語幹に語尾を付着させる言語)に属する。単語にも朝鮮語の影響があり、最古の大和朝廷の都である奈良は、韓国語で言うところの「国家」の意味だ。韓国人との会話には、「わが国は(ウリ・ナラ)」という言葉が連発するが、あの「ナラ」だ。
日本で最も古い、原始大和王権においては、スサノオの祖父がフトゥ、スサノオがフトゥシ、スサノオの子がフル(奈良県の布留町の布留神宮=石上神宮の御祭神だ)という三代とも、名前はどうもモンゴル系らしい。朝鮮民族ではなさそうだ。
しかし、単語の数でいえば、朝鮮半島からでも中国大陸からでもないものが圧倒的に多い。古ければ古い単語ほど、朝鮮・中国をルーツとするものでないものが多い。もちろん、一部は先住民族のアイヌ語であることが知られている。たとえば、淀川のヨド、富士山のフジ、利根川のトネはいずれもアイヌ語だという。「神」も、アイヌ語のカムイ(最高位の霊的存在の意味)」からきていると言われるくらいだ。
先述のスサノオも、最初の統一国家をつくりあげたとき、平定されたアイヌ人たちから、「神」として畏怖されたのであろう。アイヌ語では、神と熊は同じである。だからだろうか、スサノオを祭っている神社には、熊野権現、熊野大社、熊野本宮大社、熊野神社など、非常に「熊」の字を使っているところが多い。
さてこうしたアイヌ語を除けば、漢字がもたらされる前から、日本には大和言葉があった。日本の記紀神話に出てくる天照大御神だが、「アマ」という言葉は、「天」と書き表されてきただけに、自然に太陽神だと解釈され、天孫降臨説の大きな根拠とされてきた。
ところが、海洋民俗学の立場からは、そうではなく、「天」の字は、後で当て字をしただけであり、もともと「アマ」という言葉があったのだと強調する。そして、それはハワイからタヒチなど太平洋全域に居住するマライ・ポリネシア語族の共通語、「アマ」から来ているのではないか、と言うのだ。南洋島嶼(とうしょ)民族の共通語「アマ」の意味するところは、「海」である。日本人は、太陽信仰なのではなく、海洋信仰だったのではないか、という主張だ。
「いや。そうではない」という反論はある。たとえば、「海津神(わたつみ)」という言葉があるように、日本では海を、古代「わた」と呼んでいたという反論だ。しかし、これも海洋民俗学からは、「海」という字は、あとから輸入して「当てはめた」だけのことで、もともと「わた」という言葉があったのだ、と。そして、マライ・ポリネシア語族の、やはり共通語である「ワタ」とは、「舟の櫂(オール)」のことなのだ、と。つまり「わたつみ」とは、海の神ではなく、本来、舟の神なのではないか、と。「アマ(海の神)」に加護を祈り、「ワタ(舟の神)」の力を頼り、太平洋の大海原を渡来した民族の記憶が、この古語に残されているのではないか。ここに、DNAでは出てこない、別の答えがある。日本人の海洋民族性という特徴だ。それを非科学的だと言うだろうか。
古代、日本は熱帯であった。海岸線にはマングローブが生い茂り、潮間帯がどこまでもずっと続いていた。その証拠に、熱帯原産の猿の生息地の北限は、世界的にも雪深い下北半島である。
祭りにも不思議な特徴がある。韓国や中国など、大陸の祭りはみな、着飾る祭りだ。日本で着飾る祭りは、天皇や貴族が始めたものが多い。いわゆる支配階級の祭りだ。ところが、一般庶民の祭りは、ほぼ「裸」になる。どんな寒い地方の、極寒の中でさえ、裸で海に飛び込む。これは大陸性の祭りとは完全に一線を画している。素人がみても、南洋の島嶼民族の祭りに近い。これに刺青という風習が加わると、さらに説得力を増す。
戦争中、暑いといって、フンドシ一丁になって川に飛び込む日本兵の姿を見て、中国人たちは野蛮だと思ったろうが、南洋諸島の「土人」たちは、「なんだ、俺たちと同じじゃないか」と奇妙な親近感を持った。大陸では日本兵の評判は散々だが、南洋ではどういうわけか絶大な人気があったのもうなずける。パラオの国旗など、「日の丸」と色違いにしただけのものにしている。
日本の古い言葉に、「くすり」というのがある。「薬」のことだ。しかし、漢字は後でつけられた。もともと「くすり」という言葉はあったのだ。その「クスリ」という音と同じものが、インドネシアの文語にある。それは「アヘン」の意味である。古代、麻薬は痛み止めなどの薬であったことは疑いようもない。
まだある。「瞬(またた)く」という言葉がある。星が瞬くというように使う。「またたく」の語幹のうち、キーワードは「また」だ。フィリピンからインドネシア、マレーなど広域で、現在でも普通に使われている一般名詞で「マタ」とは、「瞳」のことである。
日本は火山の国だ。そして浅間山というのはあちこちにある。その多くが、火山か、死火山である。「アサマ」とは、マライ・ポリネシア語で「煙」の意味だ。似たような例では、鹿児島県の古地名・薩摩(サツマ)だ。どう見ても「薩摩」が当て字だということは推測できる。その「サツマ」は、やはりマライ・ポリネシア語では「蒸気」の意味だ。いずれも、火山の符牒(ふちょう)だと言えないだろうか。海を渡ってきたときに見えた煙や蒸気、その元である火山を指した名残がこれらの言葉なのではないか。
米作を盛んに行うようになる以前、基本的な穀物といったら、ひえ・あわ・きび、だった。その「あわ」は、もともとはインド原産。現地の古語では、「ダワ」と呼んだ。その「ダワ」は、大陸を伝ってきたのではない。東南アジアを経て、インドネシア、フィリピン、台湾と海洋を北上し、琉球に入った段階で「d」音が落ちて、「アワ」になった。それが黒潮に乗ったまま四国と房総で大いに繁殖した。四国の阿波の国、房総・千葉は安房の国。いずれも「アワ」の国なのだそうだ。
戦前から、こういう研究をしてきた人に、安田徳太郎という研究者がいた。当時、いわゆるアカデミズムから、完全に黙殺されてきた研究だ。はっきり言って、馬鹿にされていたのである。
現在でも、言語学界ではこれを「単なる音の近似値にすぎず、科学的に立証されない」と否定的だ。得てして学者というのは、そういうものだ。しかし、圧倒的多数の近似値というものは、それ自体が強烈にある事実を主張しているということを忘れてはならない。それは、たとえばさまざまな種類の神が日本にはいるにもかかわらず、稲荷神社と八幡神社が、日本全土の総神社数の80%を占めているという異様なデータに、古来、日本人が伝えたかった何らかの意味があることと同じである。
日本人は、勝手に自分を農耕民族だと思いたがるフシがあるが、こうした海洋民俗学の立場からは、「海の民族」という性格が濃厚に浮かび上がってくる。世にハイブリッド(混血種)ほど優秀なものはない、という。「いいとこ取り」だからだ。自動車産業の過渡期の産物とはいえ、ハイブリッド・カーという驚くべきヒット商品を生んだのも、日本人のハイブリッド性がなしたワザなのかもしれない。