破戒ということ

宗教・哲学

これは368回目。

人間、長いこと生きていると嫌なことばかりだ。

自分の価値を過小評価され、あるいは邪魔がられ(煙たがられ)ないがしろにされる。あるいは、自分の価値を人にいいように利用されて、何の得にもならないことに貴重な時間とエネルギーを、まるで奴隷のように提供してしまう。

逆もあるだろう。過大な期待をかけられ、自身が苦しむ場合だってあるだろう。

なかなか人と自分との距離や関係を「まともな」ものにするのは、難儀だ。

少なくとも、「平和を愛する世界の諸国民の公正と信義に委ねようと決意した。」などという日本国憲法の前文のようなおめでたいスタンスでは、生き馬の目を抜くようなこの現実世界では、到底自分自身を支えていくことなどできやしない。

社会人になると、経験を積むにつれて、およそこの世の中、(とくにビジネスという分野ではそうだ)「公正と信義」などということをまともに心の支えとして経済活動をしている人など、そう多くはないのだ。

災難を持ち込むのは、他人ばかりではない。

むしろ自分自身のほうが多いのだ。

自分の弱さ、甘さ、卑怯な心、魔が差す刹那、悪意、憎悪、嫉妬や羨望、そうしたものに自分自身が襲われては、ときに過ちを犯し、自暴自棄にもなる。結末によっては、絶望の淵にも立つだろう。

それでも、内外に降り掛かった火の粉を必死で払いながら、わたしたちはまっすぐ生きていかなければならない。

そういうとき、思い出さなければいけない。昨日の自分を殺すことを。つねに、それまでの自分を壊しつ、新しい自分を生み出していくのだということを。リセットの連続だ。

そのコツは、なにごとにも囚われてはいけない、ということだ。簡単な言葉に言い換えれば、嘘を言わないということに尽きるらしい。

この場合の嘘というのは、人に対してはもちろんだが、もっと大事なのは自分に嘘をつかないということだ。日常的なレベルに落として、平たく言えば、「嫌なものは嫌」ということだ。勘を信じよ。わたしたちのそうした言動を押し留めようとする連中は、形ばかりの法律や、見せかけだけの倫理や、美辞麗句で塗り固めた屁理屈をわたしたちに押しつけようとするだろう。が、無視せよ。

そうは言っても、人間、迷うものだ。

一人で立とうと思っても、なかなか内外の誘惑や脅迫に悩まされてしまうものだ。

こうした人間の悩み、苦しみという闇の世界に、ぽっと明かりを灯してくれるものの一つに禅宗がある。

「臨済録」という古い書物があるが、なにも具体的なことは書いていない。

しかし、はっとさせられる言葉がちりばめられているのだ。

少々長いが、引用してみようか。

・・・きみたちは仏を求めようとするが、仏とはただの名前だ。きみたちはいったいそれが誰だか知っているのか? ・・・きみたちが修行をしているのは、法(真理)を求めんがためではないのか。得たら、それで終わりだ。・・・得られねば、五道の輪廻を繰り返す。法とはなんだ? それは心だ。心は形なくして十方世界を貫き、眼前に生き生きと運動している。ところが人々はそれを信じ切れぬため、菩提だの涅槃だのという文句を目当てにして、言葉の中に仏法を推し量ろうとする。天と地の取り違えだ。・・・

・・・名(言葉)には一切とらわれぬ。これが奥義というものだ。・・・

・・・その場その場できみが主人公になれ。そうすれば、自分の居場所はみな真実の場所となり、いかなる外的条件も、きみを取り替えることができぬ。たとえ、煩悩の名残や、五逆の悪業があろうとも、それらのほうからきみたちを解脱の海に導くだろう。・・・

・・・きみが得たものは、もともと得ていたものであり、時を重ねての所得ではない。きみがそれを得ていることに気づいていないだけのことだ。通貫十方、三界自在(あらゆる世界を通じて、過去・現在・未来にわたって、きみは自由だ。)・・・

・・・修行者たちの中には、五台山に文殊の悟りを求めていく連中がいるが、すでに間違っている。五台山には文殊はいない。きみたちは、文殊に会いたいとおもうか? 今、わたしの目の前で躍動し、終始一貫して、一切ためらうことないきみたち自身、それこそが生きた文殊なのだ。・・・ここが会得できたなら、はじめて経典を読んでも良かろう。・・・

・・・よいか、菩薩ですら、自身に疑いを起こせば、生死の魔につけこまれる。・・・仏に会えば、仏を殺せ。・・・煩悩は心によって生じる。無心であれば、煩悩は生まれない。・・・菩薩たちを飛び越えろ・・・

まるで「臨済録」には、これといった答えが書いていないかのようだ。

しかし、答えを求めて「臨済録」を読むなら、お門違いなのだろう。

わたしたちの中に、その答えはもうすでにあるからだ。それに気づかないだけなのだろう。「臨済録」はそれに、「気づけ」と言っているのだ。

 



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