長頭人

文学・芸術

これは287回目。進撃の巨人、といっても、漫画やアニメの話ではありません。果たして真実か、捏造かという話題。もしかすると、今年、一つ大きな真実が判明するかもしれません。一応、おとぎ話です。

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長頭人間というのがいる。いや、いたと言ったほうが正しい。有名なのは、エジプトのツタンカーメン王である。王家の谷に埋もれていた彼の墓は、幸い盗掘を免れて、完全なミイラの形で見つかったわけだが、人間離れした長頭であった。

ツタンカーメンの父親(アメンホテプ4世)のミイラも、完全な形で残っている。これは、息子以上に極端に長いのである。またツタンカーメンは、アメンホテプ4世の、実の姉妹との間に生まれた子供だ。母の名は、ネフェルティティだが、帽子を被った像と、そうではない像がある。このネフェルティティは、古代エジプトの三大美女(クレオパトラ、ネフェルタリ、ネフェルティティ)のうちの一人だ。

(ツタンカーメンの母・ネフェルティティの像~帽子を被っている)

ネフェルティティ

(帽子を被っていないネフェルティティ)

ネフェルティティx

(ツタンカーメンの父母のレリーフ。ともに帽子を被っているが、長頭を思わせる。二人の膝で遊ぶ二人の子供=一人はツタンカーメン?=は、どちらも長頭人である。)

アメンホテプ

ツタンカーメンの妻も、実の姉妹で、やはり長頭であった。
従い、この長頭は、代々にわたる近親相姦のなせるもの、という説があった。たとえば水頭症だが、これだけ片っ端から水頭症だったというのも、無理がある。

また、高貴な一族(王族)であるから、祭祀上、なんらかの理由により、幼少期からそういう奇形化が人為的になされたという説(中国の纏足=てんそくのような例)。もう一つは、死後、ミイラにされるときに、人工的に頭蓋骨が加工されたという説。

このように、ツタンカーメンを巡る長頭の謎は、さまざまな仮説がなされていたのだが、近年、彼の体はCTによる再調査が行われており、その結果、なんら頭蓋骨を変形したり、死後加工した形跡が無いことが判明した。

それでは、長頭の理由は、近親婚による自然発生的な奇形や、幼少期における人工的な作為によるものか、ということになるが、根本的にこれらの説は否定されている。なぜなら、人間の頭蓋骨を、いくら変形させようとしても、その容量や重量を、劇的に増大させることはできない。頭蓋骨を変形したところで、その質量は一定なのである。ところが、世界中で発見されている長頭人間の頭蓋骨の容量は通常の頭蓋骨の20%大きく、質量は75%重いのである。

これまでに発見された多数の長頭人の頭蓋骨の平均データとの比較がある。ツタンカーメンたち古代エジプト人の場合は、この典型的な長頭人に比べると、ちょうど通常の人間との間くらいに相当する。従って、セミロングヘッド(半長頭人)とも呼ばれる。

さらに驚異的なことには、長頭人の頭蓋骨というものと、われわれの頭蓋骨とは構造がまったく異なっている。われわれの頭蓋骨というのは、そのてっぺんが、二つの骨で組み合わさった頭頂骨である。産道を通ってくるときには、これが、ぐしゃっと重なるように圧縮され、生まれたあとに、元のように戻るのだ。だから、頭蓋骨の頭頂部分は、上から見れば、ご存知のように「つなぎ目」がある。

ところが、長頭人の頭頂部分には、この「つなぎ目」が一切無いのである。つまり、一枚岩の天板のような頭頂骨で形成されているのだ。これでは、人間の女性の産道を通って生まれることは、不可能である。

通常は左右に1対ずつあって結合しているはずの頭頂骨(頭頂から後頭部までを形成する骨)が、たとえば世界中で発見された多数の長頭人の頭蓋骨の場合、大きなひとつの骨になっているというこの謎は、1920年代に初めて長頭人の遺骨が発見されて以来、ずっと考古学者や人類学者を悩ませてきた。

こうした長頭の頭蓋骨は、世界各地で発掘されている。日本にもこの類の発見はある。たとえば、熊本県菊水町の「トンカラリン遺跡」では、変形頭蓋骨(弥生時代ごろ)の女性の頭蓋骨がでてきている。周辺の松坂前方後円墳からも出ている。もちろん、これらをすべて長頭人とみなすわけにはいかない。遺伝的な問題であったかもしれず、人為的な変形がなされた事実もあるだろう。

骨格の異常性は、ほかにもある。数百体規模で発見されたペルー・パラカスの長頭人の場合は大後頭孔(頭蓋骨と脊柱をつなぐ部分)が、とても後ろの方に位置している。普通は、もっとあごに近い位置にあるはずなのだ。後頭部が長く突き出ており、重量も我々と大きく違うことから、それを支える大後頭孔も当然ながらわれわれよりずっと後ろなければ頭部を支えきれない。

頭蓋骨の形や大きさだけでなく、そもそもの骨格の構造が、人類と異なっているということだ。

しかし、ここに驚くべき結果がある。ペルーのパラカス遺跡で発見された長頭は、エジプトのものに劣らないほど、とてつもなく長いのである。そこで生物学者のブライアン・フォレスターは、DNA分析に出してみたところ、およそ地球上のどの人類とも、またネアンデルタール人とも、さらに類人猿ともDNAが一致しなかったのである。2018年までにすでに2回のDNA鑑定がなされている。

つまり、未知のDNA、未知のミトコンドリアを持っていたことが確認された。しかも、遺骨は、一つや二つではない。約300体に及ぶのだ。明らかにこれは、特殊な例とは言いがたいものがある。このため、国際人類学界は、これは「ヒト」ではない、という結論を下した。「ホモサピエンス」ではないのだ。「ヒューマノイド(ヒトのようなもの)」とも呼ばれたりしている。

ロングヘッド5

このパラカス長頭人は、紀元前1000年以上前にいた人たちだが、紀元後100年ごろ、ナスカ人たちによって滅ぼされたようだ。

ただ不思議なのは、先のツタンカーメンの妻、母、父らをDNA鑑定でその血縁を確定した際には、「ヒトではない」という判断がなされていない。彼らは長頭人にもかかわらず、ホモサピエンスだったということだろうか。長頭人には、ホモサピエンスとヒューマノイドの両方、あるいはその混血が存在するということだろうか。だから、南米など世界各地で発見される、典型的な長頭人とは違い、セミロングヘッドなのであろうか。

いずれにしろ、こうした極端に長い頭蓋骨の人間の骨は、2005年にコーカサスのキロヴォックでも見つかっている。先述のパラカス人の場合、大量に発掘されたこともあって、ミイラ化し、赤い毛髪の残った幼児の頭蓋骨も発見されているが、同様に極端に細長い頭の形状となっている。

(世界中で発見される長頭人の遺骨)

長頭人

さらに話が複雑にさせているものがある。「巨人」という別の概念だ。ボリビアのプマプンク遺跡の近くで、背丈2.6mの巨人の遺骨が発見されている。しかも、この巨人の頭蓋骨も、驚くべきことにパラカス人と同じく、頭頂骨が天板一つだけであり、長頭である。少なくとも、ホモサピエンス(ヒト)ではないことは、間違いない。

また、アフリカでは、原始人の足跡がそのまま化石で残っているが、その大きさから身長を計算すると、どうやっても、背丈が8mは無ければいけないことになる。そんな例は、実はかなり多く発見されているのだ。もちろんこのアフリカの足跡の化石の場合、遺骨が発見されていないので、それが長頭人間だったかどうかは、わからない。

(アフリカ・スワジランドで発見された、長さ120cmの古代人の足跡。冷えてきたマグマに足を突っ込んで出来たものと推察されるらしい。)

ロングヘッド7

ちなみに、この「巨人」のほうだが、注目すべき動きがある。スミソニアン博物館は20世紀初頭、「人類進化理論を守るために」、米国各地で見つかった巨人族の骨格標本数万点を廃棄した疑いがあり、そのことを示す書類が公開されることになったのだ。

米最高裁が長い審理のすえ、決定を下した。古典文献や経典に語られる巨人族の痕跡は、人類の誕生と発展に関する伝統的理論を守るためだけに、これまで無残に破棄されたらしい。事実と理論が齟齬をきたしたとき、彼ら学界の専門家たちは考え直すこともなく、隠滅したのだ。

スミソニアン博物館は長らく全面否定していたが、のち、一部職員が、証拠隠滅の証拠が存在することを認めた。加えて裁判所に1.3mもの長さの大腿骨が提出された。かつて博物館から盗み出され、ゆえに破棄を免れたものだ。この骨は長らく盗み手(救い手)たる同館元上級職員の手元に保管されていた。その元職員こそがこの骨の何たるかについて、また博物館で秘密裡におこなわれていた作業について、物語ったのだ。

(問題の大腿骨)

ロングヘッド8

(復元された巨人の想像図と実際の人間の大きさ比較)

ロングヘッド9

最高裁の決定で、スミソニアン博物館は、指定された書類を2015年のうちに公開し、公表する義務を帯びた。その後公開されたなどという話は聞いたことがない。最高裁決定などという話そのものが、ガセであったのか。

この巨人の遺骨については、正直まだ眉唾的な状況だ。もっとも、古代、地球はただ、長頭人については、いくら隠蔽しようとも、世界中でどんどん発掘されてしまっており、それらがすべて近親婚や、祭祀用の意図的な奇形加工であったというのには、無理がある。なにより、そうした長頭人の頭蓋骨はすでに各地の博物館でも展示されており、存在そのものを否定のしようがない。

長頭人が、原始、地上に存在していたとして、彼らがわれわれのようなホモサピエンスとの交配はうまくいかなかったという仮説が成り立ちそうだ。実際、古代ギリシャの「神々」の彫像や絵というものがある。そして、すべて(すべてである)、きわめて完成度の高い、屈強な肉体で表現されているにもかかわらず、その男性生殖器は、まさに少年のそれといってもいいくらい貧弱である。

ふつう、世界中のどこでも、人間の生殖器の表現というものは、それが神がかり的な意味(五穀豊穣)とリンクしているから、とんでもなく誇張され、巨大に表現されるのが普通である。日本でも、男女の生殖器を、「金精様(こんせいさま)」と崇めてきた。逆にこれを人間の体にふさわしくないほど極少化して描くということは、まず考えにくい。とくに、それが神である。この生殖器の極少化の表現が、人間との交配に問題があったことを示唆している可能性はあるかもしれない。

実は、中世、レオナルドダヴィンチやミケランジェロの作品で、人類の始祖であるノアや神々を表現したものも、すべて素晴らしい肉体美であるにもかかわらず、男性生殖器が極端に貧弱だ。とくにダヴィンチの作品には、神々に長頭形が多く描かれている。ミケランジェロが描いたノア(人類の始祖)には、背びれすら描かれている。人間ではないことは明らかなのだ。神なのか、異形の怪物なのか、その区分は不分明だが、それにしても人間ではない。ルネサンス期であるから、きわめて人間の肉体に忠実に、写実的に描かれたはずなのに、生殖器だけが異様にお粗末に仕上げられている。

(ダビデ像)

ダビデ

ちなみに、このダビデは、旧約聖書にある巨人ゴリアテを倒した人物である。

(巨人ゴリアテを倒したダビデ)

ゴリアテ

実は日本にも、この長頭人の「痕跡」と思しき存在はある。その最たるものが、七福神の一つ「福禄寿」である。頭が極端に長い。この種の文化人類学の研究者たちによると、頭部が長いということのほかに、手が長いという特徴を指摘する意見も多い。確かにエジプトの象形絵画に描かれる神々やその使徒たちは、みな一様に手が長い。実は、仏像も見ていただくとわかるが、極端に腕が長いものが多い。長い年月の間に、このアピールやメッセージは、だんだん曖昧になり、消えていったとして、もしかすると、長頭人は、手が長いという特徴もあったのかもしれない。

この長頭人が、古代、われわれホモサピエンス(ヒト)の上位に君臨していた可能性があり、彼らの高度な知識や技術、その文明といったものをヒトは当然、憧憬し、畏れていたことだろう。どうやら人間は、その後長頭人が滅んでいった後にも、社会階層の高位の者が、ことさら長い帽子をかぶるようになったのかもしれない。長頭人の偉大さにあやかろう、というところから始まったのだろうが、たとえば、ローマ法王庁の大司教たちは、異様に大きな帽子をかぶっている。

ロングヘッド11

日本においては、烏帽子がこうした憧憬の名残だったのかもしれない。

ロングヘッド12

あくまで、憶測にすぎず、つじつま合わせなのだが、どこかで長頭人の異形(いぎょう)というものと、つながったものかもしれない。料理人(コック)の帽子が、上位のものほど長くなるといったことにまで、実はずっと昔、深いところでつながっている話なのかもしれない。

彼ら長頭人は、その後滅んでしまったのだろうか。子孫は継承されなかったのだろうか。具体的にどういう不具合かはもちろんわからないが、先述のように、彼らがわれわれ通常の人間と交配ができなかったために、ツタンカーメンらのように、近親間での交配にどうしても限定されていたのかもしれない。あるいは、ツタンカーメンには二人の子がいたが、いずれも死産であった。古代の衛生状態でもあり、近親婚そのものが長かったということもあり、一概には決め付けられないが、彼ら長頭人とわれわれホモサピエンスとの交配は、きわめて難しかった可能性はある。

問題は、この長頭人というのは、そもそもなにものなのか、ということである。飛躍してしまえば、いわゆる宇宙人説になってしまうが、もちろん、地球上に元から存在していたのかもしれない。

ちなみに先述の「パラカスの長頭人」は、その濃い赤毛その他の類似性から、どうもメソポタミアからコーカサス周辺から海を渡って南米まで移動してきたのではないか、という仮説が語られている。

先述の長頭人のDNAやミトコンドリアDNAが、ホモサピエンスのものとまったく異種である、ということが判明したのは、ここ数年のことだ。

少なくとも、地球は、ホモサピエンス(ヒト)の支配の前に、別の支配が、それもより高度な文明によって行われていたことは、どうやら間違いなさそうだ。歴史は、根本的に書き換えられるかもしれない。つまり、古代エジプト以前の、いわゆる先史というものは、ヒトの歴史ではなく、別の何者かの文明であり、歴史であったという驚愕の事実だ。そこに巨人まで入ってきたら、もう地球の歴史など、ひっくり返ってしまう。

これらの傍証から、ヒトには亜種が複数あり(それが長頭人か、巨人かはともかく)、それらは神話などの「ダビデのゴリアテ退治」のように、現在のヒトによって直接・間接、滅ぼされていったのではないかという考えも成り立ちそうだ。

さて、これを信じるかどうか。おとぎ話だと捨ててしまうのは、なにやらもったいないような気がするが。



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