丁か半か ~過保護もたいがいにしなさいよ

文学・芸術


これは154回目。賭博のはなしです。というより、結論としては賭博という題材を通じて、なんとこの国は過保護にすぎるのだろうか、というお話です。

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賭博(ギャンブル)は、ルールが単純であればあるほど熱狂を生む。複雑な麻雀のようなものよりも、丁半博打(ばくち)のほうがよりスリリングなわけだ。ゲーム性が豊かであればあるほど面白さは増幅するが、賭博本来の熱狂性はそれによって薄まってしまう。

賭博は、フランス革命によって歴史上転換期を迎える。賭博場への課税が開始されたのだ。賭博税が強化されるにつれ、為政者はその莫大な収益を無視できなくなり、国家の態度は賭博に対して徐々に寛容さを増していった。現在、アメリカでこれほどまで大々的にカジノ経営が広まっているのも、その事業規模が国家的に無視できないレベルに達しているからである。

例えば、ラスベガスでサービス業に従事する人は26万4000人。そのうち、61.3%がホテル、カジノ、リゾート関連従事者となっている。ラスベガスの税収の半分以上はカジノ収入によるものだという。ラスベガスのあるネバダ州は砂漠地帯であり、鉱業以外はまったくといっていいほど産業が育たない。実際問題、ネバダ州はカジノで持っているようなものだ。おまけに、アメリカでは唯一、売春まで合法とされている州である。

それはともかく、金融商品の中で最も賭博的なものは、保険だという事実がある。保険の歴史は、まさに賭博から生まれた産物と言ってもいい。例えば、こうだ。生命保険は、ある人の残りの生命(寿命)と掛け金(保険料)を勘案する。存命中に得られる保険収入のほうが、支払わなければならない保険金より多いか少ないか、確率統計的に賭けるビジネスだ。それが自動車保険であれば、ある人が事故を起こすかどうかに、保険会社は金銭を賭けていることになる。

銀行にとってもっとも大切なのは、加減乗除(足し算、引き算、掛け算、割り算)までの算数だが、保険会社にとって重要なのは、これに確率と統計が加わる。仮に、保険に入る人が一人であれば、保険会社にとってその収支は、非常に不安定なものになる。しかし、掛け金を払う人(保険に入る人)がたくさんいれば、収支は飛躍的に安定したものになる。つまり自動車保険なら、加入者の中で自動車事故を起こす人の確率は、一定の割合に収束されていくからだ。

事業の性格が賭博そのものである保険業だが、どういうわけか、賭博が持つ暗く陰湿なイメージはない。カジノやスロットなどの賭博は、いつまでも反社会的なイメージを払拭できないが、なぜ保険にそのようなイメージがないのか。その本当の理由は、正直不明である。ただ、おそらく保険が、困ったときに人を助けるという保証の側面を持っているからかもしれない。

話を賭博に戻そう。一番、一般家庭で身近な賭博というと、トランプが頭に浮かぶ。トランプは暦(こよみ)である。 カードの図柄の色は赤と黒に分かれているが、これは昼と夜を表す。 4種類のマーク(スペード、ダイヤ、クラブ、ハート)は春夏秋冬、四季のことだ。 数字が1~13まであるのは、1シーズンは13週あるから( 3カ月)。 また、1年間は52週あるから52枚ある。トランプの数字をすべて足すと364だが、 1年は365日で1枚足りないから、ジョーカーを作った。どうもこのジョーカーは、アメリカで始まったようだが。 エキストラジョーカーは閏年(うるうどし)ということになる。

このトランプを中心に、ルーレット、スロットマシンなど、さまざまな道具立てを使って、世界中でカジノが運営されている。私などは、世界最大のカジノといったら、当然ラスベガスだろうと思っていたが、やはり時代は変わった。なんと、今ではマカオが1番なのだそうだ。

かつて、私が香港に住んでいたころ( 1983~87年、1989~1993年)、マカオといったら、なんとも寂(さび)れた賭場というイメージだった。まだポルトガルの植民地であった上に、賭博で成り立っている街だったから、実に独特の斜陽感を漂わせていた。交通の便も悪く、香港から海路入国しなければならないから、面倒でもあった。しかし、個人的には時代を間違えたのではないか、と思うセピア色の雰囲気が好きだったので、休みにはよく行ったものだ。

その田舎の賭場のようなものにすぎなかったマカオが、なんと今や世界最大のカジノ都市だという。主に、大金を賭ける中国人VIPの投資を支えに、米ラスベガス・ストリップ(Las Vegas Strip)の6倍以上の収益を生み出している。2012年の収益は、過去最高の約3兆8000億円相当を記録したという。

もともと中国では、「蟋蟀(コオロギ)」を使った、「闘蟋(とうしつ)」が盛んだ。とくに経済開放後、本土ではこのコオロギ賭博で莫大な金額がやり取りされているようだ。骨董的価値のある虫篭(むしかご)など、数千万円で取引されたり、コオロギ自体も、数百万円で売買されることすら珍しくないという。

そんな賭博好きの中国人たちのことだ。マカオが中国に返還され、中国そのものが実質的に資本主義化した今、マカオが空前の成長と拡大を遂げているのも自然なことなのだろうが、昔を知っている私としては、隔世の感がある。

ところで、証券業界では、以前から例の統合リゾート計画によって、日本は世界有数の市場となる可能性があるとはやしている。おそらくマカオに次ぐ規模だと。それでもマカオの次か、とがっかりだが。ある試算によると、東京2カ所と大阪1カ所のカジノリゾート事業は、合計で年間約9900億円の収益を生むという。あるいはまた、全国にホテルやショッピングセンター、エンターテインメント施設を併設するカジノリゾートが開業すれば、「長期的には約9兆9000億円近くになる」可能性があるとも言う。

アジアでは、ここ数十年、全域でカジノ産業は急成長してきた。シンガポールにある2カ所のカジノリゾートは紛れもない成功を収めており、年間で約5200億円相当の収益を上げるという。フィリピンとベトナムも巨大リゾート施設を建設し、アジア地域での市場シェア獲得をもくろんでいるらしい。

日本は、豊かさに加え、地理的に中国と非常に近いこと、競馬やサッカーくじなど合法ギャンブルが人気を集めていることから、いつこの禁断の木の実に日本政府が手を出すか、鵜の目鷹の目のようだ。パチンコ産業の年間売り上げは約19兆8000億円を超えていると推定される。考えてみれば、これだけでもマカオやラスベガスの比ではないのではないか。

東京都ではお台場あたりに、まず外国人専用のカジノ・コンプレックスをつくろうという案が浮上しているようだが、いったん始まれば、誰もその流れは止められない。そういう効果がこのビジネスにはある。

よく最近は、このカジノの実現に向けて、「ギャンブル依存症」になるから、こういう社会事業は良くないといったような、これまたお行儀のよい「綺麗ごと」を並べた批判の大合唱がよく聞こえてくる。

わたしに言わせれば、ギャンブル依存症を心配するくらいなら、アルコール依存症のほうがよっぽど問題じゃないか。酒はわたしのような下戸でもなあければ誰でも飲むが、ギャンブルは誰でもやるわけじゃない。およそ社会への影響度、深刻度、日常的な問題発生リスクはアルコールのほうが遥かに高いはずだ。

だいたいこの国は異常なほど過保護なのだ。電車に乗れば、ドアにはさまれないようにしろ、忘れないようにしろ、老人や妊婦・体の不自由な人に優先席を譲れ、スマホはやめろ、とうるさいったらありゃしない。幼稚園児じゃないのだ。放っておけといいたい。

麻薬。いいじゃないか。世界的な金融経済学者フリードマンは、麻薬解禁論者だった。自由がすべてに優先するという信念を持っていた人物だ。悪いことも良いことも、すべて淘汰されるのだ、と。だから、滅びるものは滅ぼさせてしまえばよい。麻薬で死ぬものも、賭博で身を落とすものも、救済の必要はない、とそこまで極論を言っていた。すべては、そうしたことで予定調和されるのだ、と。だから、介入するな、勝手に滅ぼさせれば良いのだと。

対世間ではたいへん小心者のわたしは、さすがに、そこまで言うつもりはないが、ちなみに私は、賭博という賭博は、一切興味がない。株だけでたくさんなのだ。



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