言葉が変わっていく~男心と秋の空

文学・芸術


これは208回目。気がつけば、秋の足音がひたひたと訪れているようだ。一雨ごとに、秋が深まっていくのだろう。暑さのぶり返しも気になる。

青筋アゲハとともに夏がやってきて、赤とんぼとともに去っていく。もっとも、赤とんぼ(アキアカネ)は、盛夏には3000メートル級の高山で過ごし、30度以下になってくると降りてくる。夏から生息しているのだが、気温にまかせて移動しているだけなのだ。

なにゆえ、秋(あき)というのかというと、どうやら三つくらいの説があるらしい。一つは、空の色が「清明(あきらか)」な時期であることから。二つ目は、穀物などの収穫が「飽き満ちる(あきみちる)」季節であることから。三つ目は、草木の葉が紅くなる季節であることから、「紅(あか)」が転じて「秋」になった。そう言われればそんな気もするが、なにやらはっきりしない。

春というと「春の七草」が有名だが、「秋の七草」というのもあるらしい。春の七草は、「セリ、ナズナ、オ(ゴ)ギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロ。これは粥に入れて食するのだが、秋の七草は、秋の野に咲く花をさしている。お粥に入れて食べるものではないのだ。

秋の七草の由来は、万葉集の山上憶良(やまのうえのおくら)が詠んだ歌に、「秋の野に咲きたる花を指折り(およびおり)かき数ふれば七草の花。萩の花、尾花、葛花、撫子の花、女郎花または藤袴、朝貌(がお)の花」というのがある。秋の七草とはハギ、オバナ=ススキ、クズ、ナデシコ、オミナエシ、フジバカマ、アサガオである。このアサガオというのは、ヒルガオ科の朝顔ではなく、キキョウのことだ。

秋の七草というが、実は夏の花が多い。暦の上では、立秋といえば8月初旬だから、8月に咲く花が秋の花といっても差しさわりはない。しかし、桔梗(キキョウ)などは6月下旬から咲き始めるから、秋の花というのは不自然だ。もっとも、秋の野に出てもこれらの花を見かけること自体が少なくなっており、藤袴、桔梗などは、絶滅危惧類のレッドリストに登録されている。

ところで秋というと、「女心と秋の空」といった表現もふと頭に浮かぶが、これなどは文字通り、女の変わりやすい心を意味している。秋晴れの半面、台風シーズンで高気圧・低気圧が交互にやってくるので天気は変わりやすい。そんな天気と乙女(おとめ)心をかけた言葉だが、実は、もともと古くは「男心と秋の空」だったらしい。

昔の女は奥ゆかしく、今のように浮気を軽々しく口にせず、もっぱら男=浮気という考え方が主流だったので、秋の天気に男の浮気をかけて「男心と秋の空」と使われていた。基本的に世の中は、今も昔も変わっていないような気がするが、それでも昔に比べれば、女の心の変わりやすさが何かと取り沙汰されるようになった。

女の心が変わりやすくなったのは、近世になって性の解放、女性の社会進出といった要素が重なったからだろう。そのため「男心と秋の空」という言葉も、「女心と秋の空」に取って代わられたらしい。ただ、どちらの心も同じように移ろいやすくなったことは確かだ。「~心と秋の空」などという言葉は、いずれもそのうち死語と化していくのかもしれない。



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