新手必勝、新手一生~カイゼンとカクメイ

文学・芸術


これは142回目。この国の社会は、せっかく生まれた芽を摘んでしまう悪いクセがあるようです。戦前の飛び級や、抜擢制と比べれば、多くの新機軸が潰されていっている現状というものがあるようです。

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戦後、日本の社会はカイゼンばかりで、本格的なイノベーション(技術革新)をしてこなかった、という話を書いたことがある。今回も、その流れだ。自前主義からなかなか脱却できないという企業体質も、このイノベーションを妨げてきた重大な企業風土だとも指摘される。

アップルのiPodも、故スティーブ・ジョブスが、100曲以上の楽曲を記憶させることができる東芝製の超小型ディスクを見て、開発をスタートさせたという。これなどは完全な自前ではないが、利用できるものは利用して、革新的な最終製品を「つくりあげる」ことができた好例だろう。本来なら、ソニーの十八番のような類だが、アップルに先を越されてしまった。

単に、技術的な革新にとどまらず、世の中に普及することで生活のスタイルそのものを根本的に覆すことがイノベーションだ。熱機関の発明によって、蒸気機関車、自動車、飛行機と移動・輸送システムに革命が起きた。電波という概念によって、音声・動画を伝送することができるようになり、ラジオ、テレビが生まれた。半導体によって、コンピュータをはじめ、インターネット、携帯電話、ナビゲーションシステム、キャッシュ・ディスペンサーなど、とてつもない広域での革命が起こった。

イノベーションは、常に新しいものを作り出そうとする意思と執念が生み出すが、ときに「ひょうたんから駒」のように偶発的に生まれることもある。英国の医師だったアレクサンダー・フレミングは、たまたま細菌を培養していた。ここにアオカビが混入して、ペニシリンが生まれるきっかけとなったのは有名な話である。これによって、抗生物質の世界が誕生したのだ。

しかし、私たちの国は、こうした新しいものにどうも抵抗感を覚える社会のようだ。これは体質なのだろうか。「前例がない」という理由だけで、何事も前に進まないなどとの話はよく聞く。進取の気性というが、「言うは易し、行うは難し」。企業でも、新しい分野へ一歩踏み出すことは、なかなか出来ない。

話は飛ぶが、昔、升田幸三という広島出身の将棋打ちがいた。将棋という世界にイノベーションを巻き起こした男だといってもいい。数ある棋士のうち、とりわけそのキャラクターの強さで圧倒的な人気のあった男だ。詳しいことは、Wikipediaでもご覧になったら、すぐわかる。

実力制第四代名人。順位戦(A級)での勝率は139勝53敗。歴代A級棋士の中で最高勝率だった。14歳で家出をして、プロの将棋打ちを目指した升田は、母親の物差しの裏に、「この幸三、名人に香車を引くまで帰らん」と書き残したことは、後に現実になる。

強烈な個性は、ときに暴言まがいの挙動となり、周囲が眉をしかめることにもなった。戦争をはさんで木村義雄と死闘を繰り広げたが、全日本選手権戦(後の十段戦)で対戦した木村名人に対して、「名人など所詮はゴミみたいなもんだ」と言い放った。ムッとした木村は、「じゃあ、君は一体なんだ」と言い返したところ、「さしずめ、ゴミにたかるハエだな」とつぶやいたそうな。これでは憎めない。

生涯の好敵手は大山康晴だったが、「高野山の決戦」では、ときに信じられないような大悪手を指して、頓死を食らった。「錯覚いけない、よく見るよろし」はあまりにも有名な言葉となった。しかし、その名人・大山に、香車引きで勝った。将棋史上、名人に香車を引いて勝ったのは、升田幸三だけである。頂点を極めたともいえる。初の三冠(名人・王将・九段)の制覇を成し遂げたときには、「たどり来て、未だ山麓」と、これまた名言を残す。

しかし、なんといっても彼の真骨頂は、新手必勝だった。「将棋打ちなどいらん商売だ。だから、面白い魅せる将棋でなければ、プロの意味がない」と言い放っていた升田は、既成の定石にとらわれず、つねに「新手必勝」を心がけた。振り飛車、居飛車、雀刺し、急戦矢倉、棒銀、ひねり飛車など数々の新手を指し、「将棋というゲームに寿命があるとしたら、その寿命を300年縮めた男」とさえ言われた。升田は角の名手であり、とくに自陣から敵陣をにらむ「遠見の角」を好んだらしい。

引退しても、死ぬまで新手づくりには余念がなかったようだ。その意味では、彼の言葉を借りれば、「新手一生」だった。升田の語録がある。
「一歩先に出たほうが勝つ。一局ごとに新手を出す棋士があれば、彼は不敗の名人になれる。その差はたとえ1秒の何分の1でもいい。専門家というのは、日夜新しい手段を発見するまで苦しまなければならぬ」

実力だけがモノを言う、将棋の世界だから升田幸三は歴史にその名を刻むことができたが、もしあれが違う仕事だったとしたら、芽を摘まれて陽の目を見ることのない、数多くの逸材と同じ運命をたどっていたかもしれない。



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