合成の誤謬(ごびゅう)

文学・芸術


これは228回目。合成の誤謬といいます。経済学でよく使われる用語です。個々の世界では合理的でも、その集合体としては非合理的な状態になってしまっていることを言います。矛盾、ということですね。

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1人の人が得をしようと思ってやった行動でも、みんながやると国全体が悪化し、結局は自分にとって良くない結果をもたらすことをいう。

たとえば、朝の8時に通勤ラッシュになり電車が大混雑することがわかっていたとる。
そこで時差出勤としてある人が1時間早く、7時に電車に乗ったとしたら、空いているのでゆっくり座って通勤できる。

ところがみんなが7時に乗ったら、単に通勤ラッシュの時間が1時間早まっただけになってしまう。

これも1人の人だけが時差出勤をしただけなら、その人は得をしたわけだが、みんなが同じ行動をしたら、全員がある意味損をする。合成の誤謬の身近な例といえる。

経済学に当てはめてみよう。個人にとって節約は美徳であるが、全員が節約を励行すると社会全体の総需要が減り、経済は委縮する。すなわち所得が減ってしまうのだ。

国民全員が「清貧の思想」を奉じて行動すると、実際に経済全体が貧しくなってしまうということだ。つまり、「ミクロ的視点で良かれと思ってしたことが、マクロ的に好結果を残さないことがある」という現実。これが、「合成の誤謬」である。

最近、この合成の誤謬が指摘されているのは、例の年金不足問題がきっかけで露わになった日本という経済と、ここの日本国民の家計の問題である。

たとえば、一人一人の国民が、老後に不安を覚え、あるいは若い人でも将来の収入に不安を覚え、貯蓄を増やし、消費を削減する。これ自体は当然のように合理的な行動原理である。

ところが、国家全体としてみると、とてもではないがそれでは経済活動は衰え、成長の持続などおぼつかない。

企業にしてからが、すでに純資産合計が1070兆円もあり、政府の純負債740兆円をはるかに上回っている。

そこで政府は、企業に賃金アップを要求するが、企業は企業で将来に不安を覚えているのである。もちろん、グローバルに生き残るための開発や研究などに怠慢であったというそしりは免れないかもしれないが、それにしてもすべての企業が、そうした積極的で前向きな経営ができるわけではない。

経済学というものがよく陥る罠は、国家も企業も、すべての個々の国民も、一様に最も合理的な行動をするという前提にたっている点である。ここに経済学というものの、致命的な限界がある。人間や社会という集団は、必ずしも合理的な行動原理通りに動かないのである。

個々の国民の合理的な貯蓄志向というものを是正するために、国家が企業に賃上げを働きかけるのは、気持ちとしては理解できるが、ピントはずれである。

賃上げをしたくなるようなきっかけをつくるのが国家の仕事であって、賃上げを企業に要請することではないのだ。

こうした合成の誤謬というものは、金属疲労を起こしている日本社会のあちこちに見出すことができる。それはたいていの場合、「是正」しようとするスタンスでしかアプローチできない国家や官僚が問題なのである。

そうした「是正」ではなく、「引き出す」きっかけや動機をつくることが国家や官僚の任務であるにもかかわらず、日本という国家は延々とこの「無理」をずっと繰り返してきたといっていいだろう。



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