波動ということ

宗教・哲学

これは392回目。

最近このコラム用にオカルト系の話を書いていたら(真っ昼間です)、いきなり窓を誰か見えざる人に三回ノックされたのでびっくりして途中で書くのを止めたのを覚えておいででしょうか。長いこと我が家ではそのたぐいの現象が無かったのですが、今週にわかに家人が幽霊を目撃することが続出。どなたも通りがかりのようですが、あまりいい気はしません。

:::

ということで、ネタ切れということもあり、ここはマントラを書いて誤魔化そうとおもう。

なんでも波動なんだそうだ。光も、言葉も、量子も、波動だけではないだろうが、少なくとも波動ではあるそうだ。

ということは、いい波動に浸っていれば、自分の生き方も、健康も、精神状態も、非常にいいものになるはずだ。

悪い波動に乗っていれば、あるいは始終当たっていれば、運が悪くなり、健康も損なわれ、不安定な気持ちに落ち込んでしまうわけだ。

思えば、一歩外に出れば、人それぞれ持っている、恨みや憎しみ、不安感、猜疑心、鬱積、そういった死のレーザービームを常に四方八方から浴びていることになる。

都会の人間がみんなおかしくなるのもうなづける。

田舎のほうが長生きが多いのはこのせいなんだろう。

人気のある寺社にいくと、それは欲に塗れた多くの情念が集まっているとはいえ、一方ではそれを上回る「必死」の思いも渦巻いており、その強烈な上昇志向の渦の中に入っていくことになるから、悪いわけがない。自分でも意識しないくらい深いところで、魂という波動が高揚するのだ。

人出の多い寺社にいくというのは、散歩で行くだけでもきっといい波動を浴びることができるのだろう。

かと言って、家に引きこもっていたら、死のレーザービームは避けられるものの、今度は流れがなくなる。

流れているということが重要なのだ。波動は、風通しの良い部屋のように、流れていなければならないからだ。一箇所にとどまっていては、流れはできない。ただ自分でつくった蟻地獄に落ち続けていくだけになってしまう・・・

そんなわけで、ネタ切れもあって、Youtubeに垂れ流しになっているマントラ(真言)をいくつか列挙して、今回はごまかそうとおもう。波動をつくろう。

ふだんわたしが唱えているマントラだから、好みでしかないが、わたしが唱えているものではないので(本職の僧侶たちのものだ)、きっと朝夕、なにかにつけて音声を流しているだけで、たぶん効用はあるんだろう。

【光明真言】大日如来のマントラだ。無敵の最強真言と言われる。

おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたや うん

【不動明王真言】破邪のマントラ。

のうまく さんまんだ ばさら だん せんだん まかろしゃだ そわたや うんたらた かんまん

【愛染明王真言】大欲のマントラ。(不動明王と金胎不二)

おん まからぎゃ ばぞろ しゅにしゃ ばざら さとば じゃくうん ばんこく

自分の小欲ではない、聖人の大欲のことだ。

真言というのは、意味などわからなくてもよい。無私三昧、それだけで良いらしい。

著名な各種宗派のように、じっくり、味わうように唱えるのも良いのだが、烈迫の勢いのまま、猛烈なスピードで唱えるのが修験道の作法だ。艱難突破には、情熱が必要なのだ。

情熱がなければ、朝も起きられまい。



宗教・哲学