ボブ・ディランの憂鬱

文学・芸術

これは393回目。

2016年のことですが、ボブ・ディランがノーベル文学賞を受賞しました。あの性格です。本人が一番当惑している。あるいは迷惑していたようです。

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なんでもそうだが好き嫌いのことは、どうしようもないのだ。正直わたしは一度としてボブ・ディランがいいと思ったことはない(往年のファン、ごめんなさい)。

フォークで世界を席巻したこと(後のロックでも成功したが)、内省的で文学性の濃さで「シンガー・ソング・ライター」というスタイルを確立させたことなどはわかる。

おそらく、わたしより一つ上の世代、団塊にとってひとしおの思いの多いアーティストではないかと思う。わたしのころは、活躍していたとはいえ、微妙にど真ん中ではないのだ。

「風に吹かれて」が代表的な例であるように、ベトナム反戦のメッセージ性の強さから、「プロテスト(反権力)」の旗手として若者世代から圧倒的な人気があったものの、本人は実際のところ、辟易していたらしい。

反権力でもなければ、メッセージ性もない。ただ、彼は素直にふつうの人間が感じるように歌い上げただけのことだ。だから、「迷惑している」と本人がそう言っている。

ディランの音楽をプロテストソングの頂点として祭り上げた同世代は、ディランを「世代の代弁者」と崇拝した。しかし、ボブ・ディラン本人は「同世代と自分が共通するものはなにも無いし、知らない」と実に冷めている。だいたいからして、自分の詩が彼らによって勝手に解釈され、社会運動のシンボルとして扱われることが、どうにも我慢ならなかったようだ。

具体的に言えば、ベトナム反戦運動や、黒人差別廃止を求める公民権運動など、どんどん過激化していった社会運動と、その旗手に担ぎ上げられてしまった自分のイメージに激しい違和感を持ったのだ。

66年のバイク事故以降は、家族のこと以外に興味が持てなくなっていったらしいが、それでも音楽活動自体は、先述通り、ロックというジャンルでも成功を収めていく。一流のアーティストであることは間違いない。が、世間の評価と、本人の認識はおそらく今でもまったくかみ合わないほどギャップが大きいだろう。

文学や芸術というものは、すべてそうだ。作家の意図と、読者(消費者)の認識はまったく違うことが多い。そして、その作品の価値というものは、果たして世界がどう評価したかだけで十分と考えるのか、それとも、作者本人にまで立ち入らなければ評価が定まらないものだと考えるのか。これには答えがない。

つまり、作品が独り歩きしてよいのだと思うか、それはおかしいと思うかである。どちらも一面の真実である。

なんとなくだが、ボブ・ディラン本人の認識とはかけ離れた評価が、そのままノーベル文学賞になっていったような気がする。

やはり60-70年代という、世界が共産主義の台頭とそれを封じ込めようとするアメリカの、各地での激しい代理戦争のころ、あのころに青春真っただ中だった世代の、それもメッセージ性を強く希求する世代でなければ、ボブ・ディランはあれほど熱狂的に受けいられなかったのではないだろうか。

今の人にボブ・ディランを聴いてもらって、どこまで共鳴できるものか、はなはだ疑問が多い。今回、ノーベル賞を決めた人たちも、ボブ・ディランの世代の人たちに違いない。

あるいは、ノーベル賞が、平和賞に対する相次ぐ疑問視から、だんだん価値自体の目減りしていくので、それになんとか歯止めをかけようとする奇策が、このボブ・ディランの文学賞受賞という決定に結びついたのかもしれない。

だとしたら、ノーベル・アカデミーは伝統的に「商業ベース」を忌避してきた方針から打って変わって、とうとう資本主義の論理である「商業ベース」の軍門に下ったという解釈もできそうだ。

ボブ・ディラン本人は利用されたのだと思えば、不愉快きわまりないだろうし、「違うんだけどなあ」とそっけないだろう。アカデミーのほうは「うまく、大衆を躍らせて、ノーベル賞の価値増殖・権威向上に役立った」とほくそ笑んでいるだろう。この受賞を喜んでいる大衆は、どちらの側からみでも、実に間抜けな話になる。

ボブ・ディランは、昔から後進のアーティストによく言っていた。

「現代音楽のことは忘れろ。そして、キーツやメルヴィルの本を読め。」

たぶん、ボブ・ディランが発したあらゆるメッセージより、この一言のほうに、本人の真意が込められている。

間違いなく、音楽的にはフォークとシンガーソングライターという二つのジャンルを確立した点で、偉大なアーティストなのだろうが、社会の求めるボブ・ディランはまったく別の生き物として成長し続けてきた。悲劇というか、喜劇というか、ノーベル文学賞などという得たいの知れないものを押し付けられて、一番ドン引きしたのは本人だったような気がする。



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