文化は常に病理から生まれる

文学・芸術

これは52回目。清潔で健全な社会文化ほどつまらないものはありません。

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文化という言葉を使えば、何かと高尚な感じがするが、そもそも文化というのは、病的な環境から優れたものが生まれる。健全な社会には、およそ歴史に残る文化など生まれはしない。いい例を挙げよう。

アメリカの禁酒法時代のことだ。清廉な宗教的倫理観を背景として、1920~1933年に禁酒法が施行された。この世紀の悪法が有効になる前、ニューヨークには酒場がおよそ1万5000軒あったそうだ。それが面白いことに、禁酒法時代には3万2000軒になっていたというから、話が違う。

禁酒法といっても、酒類の製造販売は禁止されたのだが、飲酒そのものが違法にされたわけではない。事実上の「ザル法」だったわけだ。大恐慌の8カ月前、1929年2月14日には“暗黒街の顔役”アル・カポネが違法酒場の縄張り争いから、「聖バレンタインデーの虐殺事件」を引き起こしている。後に大統領となるジョン・F・ケネディの父親はこの頃、表向きは銀行家だったが、裏では酒の密売で資産を築いていたともっぱらの噂だ。

さて、この禁酒法時代の前は、ジャズといったらラグタイム、ディキシーランドといったような小規模編成のものが主流だった。ところが、禁酒法施行の後は、マフィアが違法酒場における客寄せ興業用にビッグバンドを始めた。デューク・エリントン、ベニー・グッドマンたちのスイングの時代である。

酒そのものも、大きな文化を生んだ。それがカクテルだ。金持ちたちは、禁酒法施行前に大量の酒を買いためた。そしてホーム・バーがつくられ、シェーカーなどの道具も開発され、グラスに趣向を凝らすようになった。ただ酔っ払うだけの酒から、酒を楽しむための文化が生まれたのも、この時代だ。ジャズと酒の文化は、禁酒法下の病的にして淫靡(いんび)な空間でこそ、むしろ花開いたことになる。

今の時代は、どうだろうか。抑制がアンダーグラウンドの世界を増殖し、文化の温床となるのだとすれば、ほとんど抑制などというものとは程遠い、勝手自由な社会といえるかもしれない。所詮、文化などというものは育たないのだろうか。それならば、自分自身で抑制をつくるしかないが、「言うは易し、行うは難し」。日々、ルーティーンに流される自分がいる。ちょっと出ればそこにコンビニがあり、とりあえず大抵のものは手に入る。

子供の頃、親のお使いでハイライト1箱を買いに、1キロ以上先にある煙草屋まで歩いた時代が懐かしい。真っ暗な砂利道を懐中電灯も持たずに、である。いまでは、未成年者には煙草を売ってはならないという法律があり、ありえないことだ。過保護なのか、抑制なのか、なんとも厄介で、意味不明の時代になったものだ。



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