わたしといふ現象は~宮沢賢治の世界とは・・・

文学・芸術

これは325回目。童話作家であり詩人の宮沢賢治のお話です。死後、何度もブームが起きましたが、どうも個人的には「自分探し」ブームや、「エコ」ブームといった流行のたびに、都合のよい解釈ばかりがなされて、宮沢賢治自身の本質に迫った感動が解説されているとは、思えないのです。

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童話という形式を用いたことから、どこか「やさしい」感じがとくに戦後には大いに共感される側面になったことは間違いない。それが駄目だというつもりは毛頭ないが、やはり本質ではない。

多くの宮沢賢治評というものは、彼が在家日蓮宗系国粋主義の新興宗教団体「国柱会」に入っていたこと、それ以降、浄土真宗を信仰する実家の父と対立し、25歳の時には国柱会に身を寄せるために家出をしていることなど、できるだけ「避けて」通っているような気がしてならない。

国柱会を立ち上げた田中智學は、あの太平洋戦争のスローガン「八紘一宇」という言葉を広めた人物だ。ただ、田中自身は反戦主義者であった。

国柱会の国粋主義や日蓮宗への帰依や影響というものを、できるだけ宮沢文学から切り離し、下手をすると消し去ろうとするかのような意図的評論が多いような気がするのだ。

たとえば、有名な「雨ニモマケズ」の詩の最後には、以下が続いている。

ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ

南無無辺行菩薩
南無上行菩薩
南無多宝如来
南無妙法蓮華経
南無釈迦牟尼仏
南無浄行菩薩
南無安立行菩薩

これはもはや詩ではない。祈りである。
たいていこの「詩」を引用する場合、最後の唱題の部分をはしょっていることが多いのだ。

死の間際の賢治が日蓮宗、国柱会への帰依信仰を堅持していたにもかかわらず、それを無視した評価が横行したように思う。

「賢治は国柱会の活動や信仰には熱心ではなかった」などという評論まである。
おそらく宮沢賢治文学に心酔するファンたちが、自分にとって「そうあってほしい」という宮沢賢治像をつくりあげ、思い入れが強すぎるからだろう。
それがどんどんほんとうの宮沢賢治から遠ざかっていってしまうようなことになっているのだろう。

結果として、宮沢作品への無理解や恣意的解釈がまかり通ってしまうということになる。

わたしなどは、「春と修羅 序」でほとんど彼の本質が説かれているような気がしてならない。

わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといっしょに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち その電燈はうしなはれ)

特に難解とされる冒頭部分だ。
わたくしといふ「現象」という言葉にすべてがこめられている。

存在でも、情緒的な自分という感覚でもない。
現象なのである。

もちろん宮沢賢治自身のことでもない。

おそらく、きわめて仏教的な「自我」や「自意識」のことなのだろう。
それは、「あらゆる透明な幽霊の複合体」だと言っているのだ。仏教では魂という概念表現ではなく、それを「識」と呼んでいる。

われわれの体を形成する60兆個の細胞には、まるで永遠のメモリー装置のようなミトコンドリアが、われわれの意識とは無関係に、何世代にもわたる膨大な過去の「記憶」を蓄積している。百代前の先祖の一人が、その日「蚊に刺された」一瞬の記憶も、ミトコンドリアの中には記憶されているのだ。

それら「透明な幽霊(識)」は「青い照明」として、明滅を繰り返す。死んでは、子に受け継がれ、また死んでは、その子に受け継がれていく。魂か、仏教的な「識」というべきか、この明滅が延々と繰り返されていくのだ。

可視光線は、目に見えない光の粒子(幽霊、永遠に続く遺伝子レベル、量子レベルでの「記憶」)が集合したものだ。
わたしたちはそういうものだ、と言っているのだろう。

生成と滅亡を繰り返すこの「わたし」という現象は、それでも確かに灯り続け、不変に時間をつなげていく。

この光の明滅は、殺し殺され、食い食われという、筆舌に尽くしがたい痛みを伴う現世の「因果」の繰り返しでもある。

宮沢賢治は、実は牛乳も飲み、肉も食ったこともあるのだが、やがて完全な菜食主義者になっていったのにも、こうした思想・信仰への深い沈潜があればこそだった。

自分が家族からだまされて動物性食物を食わされたときには、涙を流して二度としてくれるな、と非難した。

しかし、その後、彼は友人に菜食主義を貫いても「なんにもなりませんでしたよ」と自嘲気味に笑ったと言われる。

人間世界という言わば修羅道からの解脱は、殺し殺される関係からの解脱だ。
あらゆる悲しみの根源、愛別離苦。それは、彼が希求した、菩薩・如来へ高まっていくための修行にほかならない。

殺されることなどさして問題ではない、むしろ歓喜ですらあるという境地を、宮沢賢治は目指していたに違いない。

このように宮沢文学というものが、宗教そのものであったと言うことを度外視して、字面の文面を論評することの愚かしさを、いつも感じてしまう。

わたしは、日蓮宗徒ではないが、その境地に迫ろうとした宮沢賢治という一人の徒労の情熱を尊く思う。道はいくつもあるのだ。しかし、求めれば、たどりつく終着点は、同じはずなのだ。



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