二人のカルメン

文学・芸術

これは422回目。

メリメの原作「カルメン」のことです。当時はあまり売れなかったようです。なんといってもビゼーのオペラ「カルメン」で有名になりました。ところが、どうもかなり内容が違うのです。

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話は結構単純だ。

考古学者の語り手が、スペインのアンダルシア地方へ調査旅行に出かけた。そこで、獄中の山賊ドン・ホセから、一人の女との愛憎の物語を聞かされるという枠組み小説である。

ドン・ホセはもと近衛竜騎兵で、ジプシー女のカルメン(カルメンシータ)と出会う。

原作によれば、『彼女は赤いひどく短い下袴を穿いていたので、一つならず穴のあいた白い絹の靴下と、火のような色のリボンを結んだ赤いモロッコ革のかわいらしい靴が覗いていました。わざと肩を見せるためにショールを拡げ、大きなアカシアの花房が肌着から出ていました。その上、口の端にもアカシアの花を一輪くわえ、コルドバの種馬飼育所の若い牝馬みたいに腰をゆすりながらやって来るのでした。』となっている。

まず、ここで違う。わたしたちはビゼーのカルメンの印象が深いので、どうしてもカルメンは真っ赤な薔薇を一本口にくわえているイメージが頭から離れない。

ところが、アカシアの花なのだ。メリメが花言葉になにかを仮託したかはわからない。

もちろん薔薇といっても一本なのか何本なのかで、また色によって違うらしい。赤い薔薇で一本なら、 「あなたを愛してます」「愛情」「美」「情熱」「熱烈な恋」「美貌」などがある。

アカシアだとどうなるか? 「秘密の恋」「気まぐれな恋」「友情」などがある。さしずめ、「気まぐれな恋」だろうか。

実際カルメンは自由奔放だ。男を食っては、新たな男に鞍替えする。ドン・ホセは嫉妬に狂い、追いかけ回す。

カルメンを問い詰めると、カルメンはいとも安易に「愛してるわ」という。男は見苦しくもその一言にしがみつき、一縷の望みを抱く。

そしてまた女は裏切る。

ドン・ホセは最後にはカルメンを匕首で刺す。引いて、もう一度刺す。カルメンの瞳が次第にうつろになっていく。

この一人の女に振り回された挙げ句、彼女を殺害するという大筋は同じだが、なにしろビゼーのオペラは、「見せる」ものであるだけに、いろんな余計なものを突っ込んでいるし、場面も大きく変更している。

たとえば、ドン・ホセがカルメンを殺害するのは、静かな人気のない場所なのだが、オペラでは闘牛場の出入り口、衆人環視の中での劇場的犯罪に仕立て上げられている。

アンダルシアの空のように気が変わりやすく、出会う先で男たちに嬌態を晒し、つかまえたと思ったらするりと自分の腕から逃げ出す女。

カルメンは言う。

「いずれあんたがあたしを殺すだろうって、いつも考えてたわ・・・死ぬならついて行くわ、でももうあんたとは一緒に生きたくない」

これくらい絶望的な「男を振る」言葉もないだろう。カルメンは、結局誰のものにもならない女なのである。ようやくここで、ドン・ホセはカルメンを殺す。

カルメンの思いはつねに一時の気まぐれであり、男は永遠を求めたところに悲劇がある。

ドン・ホセにしてからが、果たしてほんとうにカルメンを愛していたのだろうか? 究極までつきつめたとき、その愛とはなんだったのだろう、と考えさせられる。

ビゼーのオペラでは、ここまでの考えには導いてくれない。もっと派手で劇場的で、エンターテイメントとして傑作なのだ。が、メリメがおよそ文学として指摘したかったことは、オペラの観劇ではなかなかたどりつかないだろう。

オペラから相当のものを削ぎ落とし、たった二人だけのオペラにしたら、カルメンとドン・ホセの存在がぐっと際立ってくるかもしれないが。

所詮、愛の証明などできはしない。カルメンにしろ、ドン・ホセにしろ。

カルメンはハナからそれに関心がない。ドン・ホセはそれにこだわった。

しかし、人間というものは、愛を信じることしかできないのである。そのコインの裏柄は、孤独である。

メリメの「カルメン」のテーマはそこに行きつくと、わたしなら読むのだがどうだろうか。

だとすると、登場人物(最低限の三人)の立場というものが、非常に計算されたものだということと符号する。

舞台は、言うまでもなく情熱の国、スペインだ。しかし、語り手である考古学者はフランス人である。ドン・ホセは、スペインの中の異邦人とも言うべきバスク人(少数民族)だ。そしてカルメンは、ボヘミア出身のジプシーである。

ジプシーの女は、「監獄に入れられるくらいなら、街中を火で燃やす」と言うくらい、自由がすべてだ。

彼ら三人とも、スペインという土地における「エトランジェ(異邦人)」なのだ。このコインの裏柄も、孤独である。自由と孤独は表裏一体にほかならないからだ。

メリメの原作を読んでいると、こんな妄想がいろいろと頭に浮かんでくる。ビゼーのオペラは楽しいが、こういう想念は浮かび上がってくることはない。

カルメンは、二人いるのだ。



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